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朝鮮は植民地ではなかった説について |
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言葉の意味をすり替えて言論を破壊しごまかすのは、「いつものやり口」です。まとめ① 当時の日本政府当局も植民地として扱った② 定義上も植民地である ③ 学問の世界において通説である |
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2015年、愛知県のさる大学で行われた司書講習において、講師が「日本による朝鮮の植民地支配」にふれたところ、休憩時間中に聴講者の誰かが横車なクレームを入れたらしく、次の時間でその講師が「正しくは併合でした、植民地だったと間違った事を言って申し訳ありません」と言わされる事故がありました。 間違ってなどいません。植民地期の朝鮮は、日本の植民地でした。 が、よりによって大学という場所で、このような馬鹿馬鹿しいほど誤ったクレームがまかり通る事態は深刻です。 「あれは植民地支配だった」と自信をもって貫き、お馬鹿なネトウヨクレームは軽く一蹴できるよう、ざっくり材料を揃えてみることにします。 1、当時の日本政府当局も植民地として扱った実は「朝鮮は植民地ではない」論は1930年代後半から戦後にかけて散発していました。終戦前のものは同化政策のプロパガンダとして、戦後は言い訳として。 しかし、下記に見る通り、当の日本政府自身が植民地扱いしていたのです。事例は山ほどあります。 [1]. 条約上、植民地として扱った 植民地等を別扱いにする条約を結ぶ際、朝鮮や台湾を植民地として別扱いにしています。 一例として、1935年批准の「海上に於ける人命の安全の為の国際条約」を見てみましょう。 左は第62条です。 「…本条約をその殖民地、海外領土、保護領又は宗主権もしくは委任統治の下にある地域の全部またはいずれかに適用することの希望を宣言することを得」 「右宣言なき限り、本条約は右いずれの地域にも適用せられざるべし」 とあります。 朝鮮が淡路島や八丈島のように日本の「固有の領土」なら、この宣言とは無縁です。 しかし、日本政府はこの第62条に基いて朝鮮などにこの条約を適用すると宣言している事が、枢密院の1935年3月13日議事録でわかります。 これでも朝鮮が植民地でなかったというのなら、海外領土、保護領、宗主権もしくは委任統治の下にある地域、のどれかでなくてはなりませんが、当の外務省は植民地と認識していました。 この宣言書は、外務省の 『条約ノ調印、批准、実施其他ノ先例雑件』 に 『帝国植民地ニ適用法ノ通告案』として載っています。 また、この先例集には『帝国植民地名ノ欧文』という項目もあり、「朝鮮」が記載されています。 [2]. 政府会計上も植民地 当時の日本帝国政府は、朝鮮総督府の予算を「植民地会計」に含めています。 左は大蔵省 『昭和財政史資料第3号第5冊』 に収録の 『各植民地大正14年度歳出整理案(特別会計)』(1924年:画像不鮮明のため、強めの鮮明化処理をしています)。 右は日本銀行調査局 『第七十回帝國議會に提案さるヽ昭和十二年度豫算綱要』 (1937年)。 [3]. 殖民地要覧 (内閣拓殖局、1920年) 「植」の字が「殖」になっていますが、古い綴りというだけで意味は変わりません(混在しつつ、時代を下るにつれ「植」に移行しています)。 下に見る通り、植民地領有の沿革は韓国の併合だと明記しています。「併合したから植民地」なのです。
[6]. 軍も植民地扱い あまり大きな画像を貼り付けると画面が大きくなり過ぎるのでリンクだけにしますが、関東軍が1925年に出した『植民地の中等学校以上へ現役将校配属の時期に関する件』という文書が残っています。この3ページ目に朝鮮が対象として記されています。 ここまでのご紹介で物足りない方は、国立公文書館アジア歴史資料センターや国会図書館デジタルコレクションで、キーワード「朝鮮」「植民地」で検索されると、他にもたくさん見つけられます。 [7]. その後の日本政府 戦後しばらくの間は、自民党・官僚はもちろん社会党の議員さえ植民地支配の無反省を露骨に表明していた時期がありました。 しかし、1995年の村山談話でようやく侵略の反省を公式表明するに至った日本政府は、その後韓国に対しても以下のように明確に「植民地支配」の過去を認めています。
2.定義上も植民地である(1) そもそも「植民地」って何だ?AがBに該当するかどうかは、まずBを定義し、しかる後Aがその定義要件に該当するかどうかを見ます。朝鮮植民地否定論者に植民地の定義を言わせたら、何と答えるのかな。 というわけで、まずは「植民地」を辞書でひいてみましょう。
日本統治下の朝鮮は、日本帝国からの植民によって開発されていました。 また、日本帝国の朝鮮総督が行政権のみならず立法権をも持ち(「朝鮮ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律」第1条)、さらに裁判所も総督府所属部署として総督の指揮下にあった(朝鮮総督府施政年報の組織図など参照)ので、日本帝国に政治的に支配されている地域であった事も明らかです。 よって、大辞林の定義に照らせば、日帝支配下の朝鮮は植民地でした。 これだけではつまらないので、もう少し掘り下げてみましょう。 歴史学の辞典で「植民地」を見てみます。太字、改行は引用者。
15世紀の意味転換、第二次世界大戦後の植民地消滅などを含めた歴史的経緯の説明が加えられてはいますが、いずれの説明も大辞林と同じ趣旨です。やはり朝鮮が植民地だったという結論に変わりありません。 更に、国際的に権威のある「植民地」定義の根拠として、1960年の国連総会決議 「植民地と人民に独立を付与する宣言(Declaration on the Granting of Independence to Colonial Countries and Peoples)」が挙げられます。英語原文(国連サイト) 結論から言うと、植民地は「非自治地域」 (Non-Self-Governing Territories) とされています。 宣言の前文で植民地支配の終了をうたい、第1項で「外部 (alien) からの征服、支配、搾取」の正当性を否定したうえで、第5項で「信託統治および非自治地域」等の独立を促進する構成になっており、植民地=異国・異民族支配下の非自治地域と位置づけている事が見てとれます。 また、第2項・第3項により 「"遅れた地域・民族"を発展させてやる」 類の言い訳も排除されているので、これらを理由に植民地の定義から逃れる道も塞がれていると捉えられます。
この宣言がその後の国連の活動に影響を残した重要な宣言である事は、国際法学の世界で通説となっています。
確固たる地位を占める国連決議ですから、植民地の定義の根拠としては充分な権威があると考えられます。 いずれにしても、大辞林や歴史学辞典の線から外れるものではありません。 (2) 歴然たる異民族支配詳しくは「法治と人権」の記事中「平等って何だっけ」の項で述べているので、ここでは概要だけつまんでみます。 日本統治下の朝鮮では、朝鮮総督が行政のみならず立法権、司法権も一手に握っていました。 朝鮮総督は歴代全員、日本人の軍人です。 更に官僚を見ると右グラフの通り、最上位の勅任官に朝鮮人は2割もおらず、しかも歳月を下るほど上級官僚から朝鮮人の姿が減っていました。 ナンバー2の政務総監、各道の警察トップである警察部長は歴代全員日本人です。 裁判所判事、検事も常に7割以上が日本人で、上級位の勅任官は全員日本人。 そして、朝鮮人は朝鮮戸籍令により日本人と異なる戸籍で管理され、両者は明確に峻別されていました。 どう見てもどっぷり異民族支配です。 道知事など地方行政体は朝鮮人の知事・首長が少なからず居ましたが、今日の日本の地方自治とは全く異なり、右図の通り道知事は朝鮮総督の部下で、総督府の局長より格下。市町村にあたる府邑面のトップはそんな道知事のそのまた部下。 議会のようなものが途中からできましたが、知事首長に拒否権があり、自治権は発揮できない仕組みでした。 地方自治を謳うなら、中央政府から独立していなければなりません。 今日の都道府県知事は首相の部下ではなく、都道府県議会は首長の諮問機関ではありません。 日本統治下の朝鮮には、今日でいう地方自治は最初から最後まで存在しなかったのです。 朝鮮では日本人にも衆議院選挙権がなかった一方、日本本土では朝鮮人にも衆議院選挙権があったから平等だ、という主張があります。 国政参政権は大阪府民にだけあれば良い、文句があるなら大阪に引っ越してこいと言うようなもので、ナンセンスな詭弁です。住居地域により権利を制限すれば、その地域の住民に対する差別になるのは自明の理であり、従ってその地域に生まれ育ち生活基盤がある集団に対する差別になります。 ちなみに日本帝国時代を通算しても、朝鮮人国会議員はたったの2人です(1943年貴族院議員に任命された李軫鎬と、東京で衆議院議員に2回当選した朴春琴)。 日本統治崩壊前夜の土壇場に、朝鮮に衆議院議席を割り当てる法律が公布されましたが、 ⇒議席配分は全朝鮮でたったの23(台湾5、南樺太3、日本本土466)、本土の3分の1に迫る人口を有しながら約20分の1の議席 ⇒選挙権は25歳以上の男子で直接国税15円以上の納税者のみの制限選挙 しかも施行日を定める勅令を出さなかったので、法律を施行しないまま終戦に至り、空証文に終わりました。 「朝鮮は植民地じゃない!」を大々的に言いふらした南次郎・朝鮮総督も、退任後は枢密院会議でこんな事を言っています。
内鮮一体だの皇民化だの散々やらかしておきながら、所詮は異民族統治だった事を南次郎もはっきり認めています。 3. 総督府官僚の言い分について戦後、元総督府高級官僚の証言を集め録音に残した宮田節子氏(学習院大学東洋文化研究所客員研究員)は、こう回想しています。
当時の総督府関係者による同様の主張は、戦後すぐに編まれた大蔵省の資料など、他でも見られます。 (1) 「植民地」の定義がすり替わっている上の主張は要するに「植民地=インドのようなもの」 「朝鮮はインドとは違う」 「故に、植民地は朝鮮ではない」 と言っています。この定義が間違っています。 植民地の定義は先に述べましたが、統治形態がインドと異なるアルジェリアもベトナムも香港もみな植民地でした。 植民地現地に元々あった統治権力を利用し自治の度合いが高かった英国の植民地も、そうでなかったフランスの植民地も、植民地であることに変わりないのです。 インドは植民地とはいえ、それ自身が一つの帝国でした。 統治の最前線は ICS (Indian Civil Service) と呼ばれる高等文官が担っており、大きな決裁権を持ってローカルの藩王などとわたりあっていました。このICSには、試験に合格すればインド人もなることができ、独立時点で半数近くがインド人ないしパキスタン人でした。 かのチャンドラ・ボースも採用試験を受けており、乗馬試験で文字通り「落ちた」という伝説(事実ではないようですが)も残っています。 そんなインド風のものだけが植民地というなら、フランス本土と同等の扱いを受けたアルジェリアや、香港政庁の直接統治だった英領香港は、植民地でない事になります。世界的に見て、そのような定義は通用しません。 ましてや、白人がやれば植民地支配だが有色人種の日本人がやれば植民地支配じゃない、などというアナクロな西洋コンプレックスまる出しの言い訳は、支離滅裂過ぎて相手にもなりません。
(2) 事実を都合よく忘れている朝鮮は内地同等の「日本」になどなっていません。明治憲法は施行されず、本土には居ない総督が存在し、その総督が独自に法令を決める異法域でした。そして、朝鮮人の戸籍は朝鮮戸籍令によって日本人のものと峻別され、結婚や養子縁組をしない限り乗り換えは許されず、義務教育を受けられないなど厳しい差別に晒されていました。 (3) 殴った手は殴られた頬より痛くない殴られた側が痛いと言っているのに、殴った側が痛くないと言い張るのは、歴史問題に限らず至る所で見られる残念なシーンではあります。痛くないかどうかは、殴られた側に尋ねないと結論は出ません。 「搾取してなかった」という言説については、まずはなによりも主権を搾取したじゃないかと言いたくなりますが、論点が膨大になるので詳しくは「食糧と農村と人口流出」、「工業化と所得」、「ファシズムと戦争への巻き添え」、「日本の朝鮮統治は赤字を貢ぎ莫大な資産を残した説」、「「日本が朝鮮に鉄道を敷いてやった」という言説について」などの各記事をご覧下さい。 私自身の考えをむりやり一言にまとめれば、「義務教育を施さず高等教育の機会も僅かしか用意しなかった時点で決定的に失格確定。朝鮮人民はこれにより殆んどが社会の底辺に押し込められた」です。日本は学校を建てたと吹聴する向きが多くあきれ果てるばかりですが、きちんと数字を確認すれば総督府が朝鮮人民に用意した教育メニューは貧弱の一言。詳しくは「近代教育と識字率」の記事をご覧ください。 (4) マクロとミクロを混同すべからず植民地の環境下でも「いい人」はそれなりの人数居たでしょうし、制約された枠組みの中で精一杯良心的に行動し、感謝された人も少なからず居たでしょう。それが人間社会の常であり、生活のリアリティです。だから何だというのでしょう? 問われているのは政治権力の行為、マクロの枠組みの動きであって、街の角隅に咲いた個人的なエピソードではありません。全体の枠組みは、ミクロの積み上げで形成されるのではありません。 官僚がいくら「善意」でがんばっても、それは植民地という枠組みの中の話であり、枠組みを免罪することはありません。ブラック企業に「良心的」な管理職が居て、ブラック経営の枠組みの中であれこれヒューマンな事をしたからといって、ブラック企業がブラックでなくなる事などないのです。ブラック国家日本帝国においてもまた同様です。 (5) 押しつけの「愛情」は愛情にあらず「悪気はなかった」で免罪になるヘンな国、日本ですが、「悪気がなかったから無罪」と「愛してるから殺したので無罪」の間に理論的な距離はありません。「愛と善意を込めて朝鮮を日本の一部にして、朝鮮人を日本人にしました」と言うのも同じです。安物のストーカーと何が違うのでしょう。 「あなたの為を思って押しつけてるのよ!」はよくある定番のヒステリーですが、何が自分の為なのかは自分で決めるのが筋だから人民主権の原則があり、その応用として民族自決の原則があるのです。それを、本人を無視して自分が決めてよいという思い上がりが、このようなセリフにつながります。 4, 学問の世界で通説である「植民地+朝鮮」のタイトルで本を検索すれば、1000件を軽く超える検索結果が返ってきます。 植民地時代の朝鮮を「植民地」と記す学者が世にあまた居り、それが当たり前なのは、まっとうな歴史学者が書いた本を何冊か読めばすぐわかる事です。 学問の世界で通用している事を、一般人が訂正まして謝罪する責任などありません。 その通説が誤りだというなら、まずはそういう論文をこさえて、どこかの学会で査読や議論の洗礼を見事に通過してみせるべきです。 なお韓国では、植民地だった期間を日帝強占期(일제강점기)と呼んでいます。日本帝国が強制的に占領していた期間という意味です。 『データで見る植民地朝鮮史』トップへ 植民地期の年表を見る ツイート |