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ファシズムと戦争への巻き添え |
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日本本土の日本人ですら酷い目に逢ったのに、植民地が無事である筈がありません。まとめ@ 皇民化政策で心の自由を侵害され、言語までも抑圧された。A いわゆる朝鮮人強制連行を初めとする様々な労務動員に、概ね満足な報酬なしに狩り出された。 B 農村は自分の食糧にも欠くほどの食糧供出を強いられた。 C 放漫な戦争財政により高率のインフレに晒される中、郵便貯金や国債の形で財産を召し上げられた。 D 軍隊への動員、ひいては徴兵への対象とされた。戦死者約2万人や戦傷者、戦犯も出している。 |
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植民地化により朝鮮が受けた被害はこの時期に留まりませんが、大きなものが日中戦争に突入した1937年以降に集中発生しています。
狂気の皇民化政策、創氏改名に日本語強要日本風の名字を半ば押し付ける、というあの悪名高く素っ頓狂な創氏改名は教科書にも載っていますが、創氏改名だけが孤立して存在したのではなく、皇居遥拝や神社参拝、日本語の押しつけなど他の様々な同化政策の一環でした。 同化政策は特定の総督によってのみ行われた訳ではありませんが、南次郎総督の時代に皇民化政策として特に強化されました。これは日本本土に先駆けたファシズムへの傾斜でもありました。 (創氏改名については別ページ「創氏改名」で詳述しているので、ここでは説明を略します)
南は就任にあたり、五大政網と称して「国体明徴」「鮮満一如」「教学振作」「農工併進」「庶政刷新」を方針に掲げ、「五大方針は統治の根本趣旨たる内鮮一体の本流に沿ふて一層新たなる意義を帯び其の実績を挙げ得たることに想到し得るのであります」とぶちあげています(施政三十年史 P410、太字は引用者)。 国体明徴とは要するに日本が神の子孫たる天皇中心の国家である事を徹底するという意味です(岡田内閣の声明参照)。教学振作とは、この国体明徴なるカルト信仰を教育の世界に展開して、「必勝ノ信念尽忠報国精神ノ昂揚、戦時国民道義ノ確立ヲ図ル」という代物です(1943.12.10閣議決定参照)。 ![]() そして、腹心の部下として塩原時三郎という人物を満州国政府から引き抜き、「教学」を所轄する学務局長に据えています。 南と塩原は、かつて平沼騏一郎が検事総長時代に結成した右翼結社「国本社」に、荒木貞夫らと共に加わっていました(岡崎茂樹 『時代を作る男塩原時三郎』 P56)。 2人が目指したのは、朝鮮人民を軍国日本に忠実に奉仕する臣民に仕立てあげる皇民化でした。 その目的は、後年の南自身によれば次のような趣旨で、要するに徴兵するためでした。 「朝鮮同胞も 天皇陛下の赤子であり皇国臣民であることにおいて内地人といささかの相違もない。…畏くも大御心は内鮮一視同仁、ひとしく 陛下の御民として皇澤をあまねからしめられるにある。これ実に我国体の万邦に冠絶し比類を見ない所以ではないか。」 ![]() 「さて、しかし内鮮一体といっても、ただ言葉にし文字に記すだけでは何にもならないのみならず、徒らな口頭禅にをはってはかへって反感反動をまねくばかりであるどうしてもこれを具体的の施策として朝鮮同胞の眼前にあらはし、その納得を獲なくてはならない。その具現として徴兵制度施行これあるのみと考へられた次第である。」 「しかし、徴兵制度実施のためには、その準備がまだまだ十分ではなかった。…教育を振興して、徳育智育の向上をはからねばならぬ。国語普及の必要も絶対である。さうして、より大切なことは朝鮮同胞の皇国臣民たる自覚、この自覚をはっきりさせることだ。皇民化政策はここにおいて強力に実行された。皇国臣民の誓詞、愛国日の設定、国民総力聯盟の活動、教育制度の改正による学校名の内鮮統一及び教育施設の拡充、創氏制度を実施して半島民に氏を創めることを許し、それも内地名を用ひることを勧奨したことなど、すべて精神的皇民化のための施策であった」 (南次郎 『内鮮一体・鮮満一如』 「写真報道:戦ふ朝鮮」掲載、1945年)
※上の文中「朝鮮同胞も 天皇陛下の…」という具合に一文字空白を入れるのは、 尊い「天皇」の直上に文字が入るのは不敬だ、という当時のカルトな文法です。 「陛下」の前にも空白が入っています。この時代の文献は皆この調子。 この路線に基づき、南政権は在任中に次のような施策を実行していきます。
この国民精神総動員なるスピリチュアルでカルトな所業については、別ページ「植民地期朝鮮の法治と人権」で、国語普及運動については「朝鮮語抑圧と日本語強要」で述べているので、ここでは繰り返しません。 要点だけ述べれば、国語普及運動は日本語での生活の強要です。 また「精神を総動員する」とは「心から喜んで」「自ら申し出る」事を強制するという事です。これは自発性の強要と言われています。皇国民ならこういう気持ちになるものだからお前もこういう気持ちなのだ、という人格完全無視の論理飛躍がまかり通る世界、人間Aが人間Bに「精神」を「注入」する精神異常の世界です。 ![]() 総督が小磯国昭に変わって以降もこうした皇民化政策は続き、ついに1944年には徴兵制の実施に至ります。 ただし日本語普及運動のように、実際には徴兵以外に労務者として動員する為にも役立った側面があります。同様の理由からか、南の前任である宇垣総督時代から初等学校就学率が大幅上昇を続けましたが、南総督時代の1938年に朝鮮語が正課から外されています。 ![]() 労働力の召し上げ −各種の労務動員「朝鮮人強制連行」として悪名高い朝鮮人労務者の域外強制連行については、別ページ「朝鮮人労務者強制連行」で詳述していますが、これ以外にも軍属への徴用、朝鮮内への労務動員、女子挺身隊など、様々な動員が行われました。
道内の労務動員:勤労報国隊など道は韓国/朝鮮の行政単位で、植民地期は13ありました。居住地と同じ道内に動員した人数が一番左の欄になります。動員方法は募集、官斡旋、勤労報国隊となっていますが、強制連行まがいの事例も報告されています。1944年に急増していますが、内訳は右表の通り。下記に紹介の資料には、1942-43年の動員は全数が勤労報国隊と記載されています。 動員先は鉱業、運輸、土木建築などでした。当時の状況の説明として、当時の資料をそのまま紹介します。
この史料は、「労務移動防止を期する為、本年二月以降、鮮内重要工場事業場の現員徴用を実施したる」と現員徴用にも触れています。これは各人が現に所属する職場に徴用する事で、仕事は変わりませんが退職・転職できなくなります。これは上の数字に含めていません。 勤労報国隊は1941年にできた制度で、男子14〜39歳、未婚女子14〜24歳の国民(軍人軍属・軍関係工場従業員などを除く)とされ、原則は年間30日以内の動員ですが特に必要があれば30日を超えられる事になっていました(国民勤労報国協力令第3〜4条)。 1944年には「出動目標を一年を通じ各道内全戸数の3割」(朝鮮総督府 第86回帝国議会説明資料)としていました。 勤労報国隊以外の動員期間を一律2年とすると、1944年末時点では前年動員数を合わせ61万人余り駆り出されていた事になります。 これに勤労報国隊の動員数が常に在朝鮮・朝鮮人戸数(1940年4,231,617戸)の3割相当=127万人弱を加えると、188万人余。 1940年朝鮮の朝鮮人14〜39歳男性人口は4,474,387人ですから、勤労報国隊対象年齢の男性の42%に等しい人数を常時動員していた勘定です。 ざっくりメノコ勘定ですが、もう動員する人が居ないほど人を引っ張り尽くした、という話があながち誇張でない事が判ります。 ところで、動員したのはこれだけではありません。 学徒動員と女子挺身隊学徒動員とは、中学校や女学校の生徒などを工場に駆り出して、時にはヒロポンを飲ませたりして飛行機なんぞを作らせた、アレです。兵役に駆り出した学徒出陣とはっきり区別するには、学徒勤労動員と言ったほうがいいでしょう。朝鮮における動員数(1944年8月現在)と学生・生徒数(同4月現在)は次の通りです。
大学・専門学校の2年生は通年動員、鉱工業専攻の最高学年は就職がらみで配置、師範学校の最高学年は教員の欠員・応召補充とされていました(前出『太平洋戦下終末期朝鮮の治政』, P159)。 ![]() 標的になったのは未婚の女子。 「主として家庭にある遊休女子をして自主的に挺身隊を結成せしめた…しかし戦局の推移とともに女子動員の徹底を図ることが要請され、かくて女子挺身隊の強制加入を含めた制度の強化が図られることとなり、十九年(引用者註;1944年)三月十八日「女子挺身隊制度強化方策要綱」が閣議決定…」 (労働省編『労働行政史』第1巻、1961年、P1122-1123 太字は引用者)
遊休女子とはずいぶんな表現ですが、要は当時の家父長的家庭モデルの発現です。結婚した女性は家庭を守る役の位置づけで動員対象にしなかった次第です。
ただしこれはあくまでも日本本土の話で、朝鮮では事情が違いました。 当時の朝鮮では女性の結婚が早く、平均初婚年齢が18.45歳(1935年)、21.46歳(1940年)でした(朝鮮総督府『調査月報』1944年8-9月号、P42)。 同時期の日本は概ね24歳前後で推移しています。これだけでも対象にできる人数が日本本土より少なかった事になりますが、更に義務教育がない為、未就学の人が大勢おり、日本語の作業指示を理解し得る動員対象人数は日本本土よりずっと少なかったと考えられます。 このような諸事情あいまってか、朝鮮では日本のように女学校同窓会を使って卒業生を組織するのではなく、個別募集や、学校に在籍生徒を勧誘させるなどの方法が採られました。(高崎宗司『「半島女子勤労挺身隊」について』、以下の記述もこの論文に基づいています) ご多聞に洩れず巷では警戒されていたようで、女子挺身隊の募集が始まった時期に、このような新聞記事が出ています。 ![]() 朝鮮の女子挺身隊については、まとまった公式記録が乏しく、全体像がはっきり判っていません。 朝鮮内動員は別として、日本に連れてこられたケースとして「ほぼ確実な資料が示すところ」では、東京麻糸紡績沼津工場に約300名、富山の不二越鋼材工業へ約1100名、三菱重工名古屋航空機製作所に約300名、小計約1700名が判明していますが、その他富山県の他工場、北九州・八幡地区、相模原造兵廠など未確定分を加えても「多くて4000名止まりであろう」(高崎宗司、前掲、P56)。 朝鮮における女子勤労挺身隊の問題は3つあります。 (1) 児童労働 当時の学校は、生徒が女子挺身隊に行った記録を学籍簿に残していました。これにより、国民学校(小学校相当)の生徒を女子挺身隊に送り出した事が判明しています(高崎宗司、前掲、P41など)。 これは当時の日本も批准していたILO第5号条約『最低年齢(工業)条約』に違反する児童労働です。 (2) いわゆる「朝鮮人(労務者)強制連行」と共通する、「虚偽の好条件での勧誘や脅迫による事実上の強制」 学校に通わせてあげる、卒業証書を出すなどの好条件で募集しておきながら実行せず、あるいは保護者拘束の脅しをもって応募させるなど、強制連行と言うべき状態であった例が、裁判でも事実認定されています(例:.名古屋高等裁判所2007年5月31日判決)。 (3) 従軍慰安婦と混同された事による被害 ![]() すでに解放前からこのような流言が記録されています。
挺身隊にもいろいろあったので、或いは従軍慰安婦も挺身隊に含めて呼んだ可能性も否定できませんが、挺身隊だと騙して慰安婦にしたと捉える事もできます。 右は慰安婦を「慰安婦」と呼び募集していた当時の新聞広告です。「慰安婦」の呼称が当時からあった事が判ります。
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昭和18年度米雑穀の実収高は平年作に満たざりしにも拘らず…(中略)…鮮内自体の需給調整すら困難なる実状にありたるが、日満自給態勢確立の見地より本年産食糧の増産に努むると共に…(中略)…あらゆる需要面に圧縮を加え過剰量を捻出し、之を鮮外に供出して帝国の食糧事情に貢献することと為したるが、累年困難なる食糧事情下に於ける糧穀の供出の強化は農民に甚大なる影響を与え、その結果は、 1、供出強化に伴う不穏言動ならびに流言の発生、 2、食穀の隠匿その他供出忌避、 …(中略)… など民心の荒涼化を示し、食糧政策上誠に憂慮すべき様相を露呈し、特に最近注目すべきは既往に於ける食糧の逼迫せる体験に鑑み、自家食糧の確保に手段を択ばず、供出を忌避する傾向濃厚なるものある為、供出の強化は先鋭化せる農民を益々刺激し、供出担当吏僚をはじめその他一般吏僚に対する反官的機運著しく濃化せると。 |
朝鮮総督府第85回帝国議会説明資料 『糧穀供出ノ農民ニ与ヘタル影響如何』 |
従来実施せる混食代用食を更に強化し海藻、山野草、樹実等の代用食化についても道の統制下に学童、婦女子等を組織的に動員し… |
同上 『食糧ノ消費規正ト配給状況』 |
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朝鮮に於ける特殊事情等を勘考の上創案実施中の重要事項を挙ぐれば、およそ次の如し (中略) 農民をして不知不識の内に貯蓄に協力せしむる手段として、農林水産物共販代金に対し、全鮮的に相当高率の天引貯金を一律に実施し、販売代金の引上げ又は補給金の増額に対しては其の大部分を貯蓄せしめ、極めて良好なる成績を挙揚しつつあり 尚、米および雑穀に対する奨励金、報奨金に対しても其の大部分(八割となる見込)を天引貯蓄せしむる予定なり |
朝鮮総督府第85回帝国議会説明資料 『朝鮮ニ於ケル最近ノ貯蓄奨励状況ニ就テ』 |
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朝鮮に於ける都市農村の食糧事情は相当深刻のものあり、其の実例として朝鮮に旅行する時汽車の窓より望むるも、沿線の林野に於ける松木の皮を剥ぎたるもの相当見受くることがあるが、沿線にあらざる深山には尚多く、近き将来に於て朝鮮の松木はあるいは枯死するのではないかと憂慮する人達も相当多い様である |
農村人および地方有志の忌憚なき意見を調査してみると、従来大体において朝鮮は食糧の自給自足不能にあらざるに拘らず、かかる現象を呈するは、行政当局のその措置宜しきを得ざるに起因する所多しと非難する地方もある、 即ち配給、供出機構の不完全は勿論のこと、まずその衝にあたるものの情実または実情を知らざる盲目的行政の結果なりと彼等は非難している |
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![]() しかもかかる過大なる生産統計の下においてなお個々農家の収穫高を決定する上においても相当の努力が払われているに拘らず、多くは無意識的に、稀には意識的に凹凸を生ずる場合が相当に多いことも事実である かかる基礎において個々の農家の具体的供出量が定められる、 そうして此の供出令は文字通り至上命令とされ、供出の完遂は勧奨よりも強圧強権を加えて強いられる場合が極めて多い状態である しかも朝鮮の農民は純朴従順であって、そこには涙ぐましい数々の実話実情も多い、 あるいは明日の糧まで供出せる者あり、あるいは彼等の何よりも大切なる農牛や家屋や家財道具等を売り払って闇買をしてまでも自己の供出割当数量を完遂せる者も居る、 従って部落において勢力のある者、即ちいわゆる有力者その他富豪権力者を除いては、出来以外の時における農村の食糧事情は殆んど急迫の状態にある 従って、農業者にしてなお朝飯夕粥は良い方で、多くは糊口に苦しみ、自己の生産物は全部供出に献げ、自分は大豆、小豆の葉や草根木皮にてかろうじて延命し、顔は腫れ上がり、正に生不如死の惨状を呈し、空腹のため働く事も出来ず、寝ている者も少なくない状態である かくの如き朝鮮農村の食糧事情よりして、農民は生産しても自らは喰えない故に、農村には増産意欲どころかむしろ厭農思想が相当濃厚であり、生産物を隠匿せんとする傾向が強くなって来た。 |
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そこで供出督励者は、農家や農家の周囲を捜索し、炊事時に不意打ち的に踏み込み、炊事釜や食物を検査し、果ては面、駐在所等に呼び出して迅問するなど、全く朝鮮でなくては見ることの出来ない奇異なる現象を彼所此所に露出している | |
一方、ひるがえって都市の食糧事情を見るに、都市には殆んど完全に近い配給制度が実施され、一人あたり1合4勺ないし2合3勺の配給を大体において順調に受け、満腹の程は期待し得ざるも一応不安はない状態にある | |
内務省管理局嘱託・小暮泰用 1944年7月31日付復命書(出張報告) 10-12枚目より抜粋 |
陸軍特別志願兵制度それまで朝鮮人の日本軍軍人は、旧韓国軍出身、李王族または陸軍士官学校出身の将校だけでした。趣旨は下記のような事でした。要は朝鮮人民の忠誠心がとても期待できない現状なので、まずは従順な人だけ採用することで、兵役と朝鮮人の地位向上を切り離して模範的実績を作り、これを足がかりに日本帝国への忠誠を民心に浸透させるよう誘導したい、という事です。 下記文書では義務教育による皇民化徹底も併せて提言されていました。 |
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朝鮮の地理的環境とその統治の成果とにより期待せらるべき半島民心の動向が皇国国防と蜜実不可分の関係にあるは、あらためて喋々叙述を要せざる所、 特に朝鮮民族対日思想の健否とその皇国意識の張弛とは啻に朝鮮自体の防衛上看過すべからざる重要問題たるは勿論、 半島が我が対外作戦実施にあたり直接背後の大兵站地域たるの使命を負荷せられある関係を願う時、半島民心動向の善導は現下に於ける重要愁眉の大問題たるを失わず |
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然るに今しずかに半島統治の現況と、之に対し滔々として隠然底流する朝鮮民族の反発、自棄的思想の厳存を看取するとき、吾人任を朝鮮の防衛に承くるもの断じて晏如たる能わざるものあり、特に遠からず重大危局の勃発を覚悟せざるべからざる現下の情勢に鑑み、為し得べくんば一面、半島民心の善導に貢献すると共に、朝鮮の防衛を安固にし、延いて皇国国防の完璧に資せんことを期せざるべからず これをもって朝鮮人志願兵制度問題の如きに至りても、その実行の方針をこの根底に置くことなく、単に人的資源の補足を理拠となり、甚だしきは鮮人平等獲得熱に迎合せんとするが如き浅薄なるご都合主義に堕するが如きは断じて採らざる所なり 宜しく慎重研鑽、もって皇国国防ならびに朝鮮の防衛上いささかも禍根を将来に胎さざるべき方策を立案せざるべからず |
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朝鮮軍司令部 『朝鮮人志願兵制度ニ関スル意見』1937年7月、P3-4 | |||||||||||||||||||||||||||||
一部有識者間に「国防の負担なき民族に愛国心を要求するは不合理なり、朝鮮人をして国防に任ぜしむるこそ日本の真の国防を全うする所以なり」との説に禍せられ、その裏面に「まず兵役義務に服することにより参政権獲得に邁進せんとする」伏線的提唱たるを想わざる短見に外ならずして、いわゆる朝鮮人の人気を博せんとするご都合主義的施策なりと診断するも決して失当にあらざるなり | |||||||||||||||||||||||||||||
今回南総督の提唱せる志願兵制度案は、一面において教育施設の改善向上を伴わしむるものたるべきこと当然のみならず、 一般兵役法の施行にさきだつ段階的準備施策にして、しかも志願者に限りこれを採用する本案の実施は、前述兵役に対する朝鮮現下の通念上、名誉義務なりと思惟する者のみを服役せしむることとなるをもって、彼等の進取的意気に更に拍車を加え、朝鮮統治の向上に資し得るの利益あるべきは看過し得ざる所なり かくして幸に鮮人の気分を一新せしむることを得ば、朝鮮防衛上にもまた貢献する所少なからざるは論をまたず |
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同上 P8-9 |
入所者を職業別に見ると…(中略)…大部分は農業者にして残余が官庁の給仕小使その他傭人等によって占められ、将来半島の青年層に働きかけ得る実力を有する地位の者が未だ非常に少ないのである。この情況は入営の学歴にも現れて、中等学校卒業者等はその数ごく僅少にて、未だ半島が真に兵役の崇高なる所以を理解するの域に達せず… | |
海田要・陸軍兵志願者訓練所教授 『志願兵制度の現状と将来の展望』 『今日の朝鮮問題講座』第3巻収録 1940年、P5-16 | |
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吾々は志願者をその環境ないし素質の面から眺めて見て、そこに幾許の寂寥を感ざざるを得なかったのである。即ちこれ(引用者註:志願者)を職業別に見ると、その八、九割以上は小作農民であり、その他は若干の事務員、官公吏員を除いては、給仕小使傭人であり、学歴より見るも中等学校卒業者または中途退学者は実に微々寥々たる実状であり、名門出の子弟有力者、資産家、知識階級の子弟は更に稀なる情況であり、ここにも半島の伝統的兵役に対する観念の反映を見たのである。 |
朝鮮総督府 陸軍兵志願者訓練所 『志願兵を訓へて』 雑誌『朝鮮』1940年4月号、P60 |
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私が帰朝中、村でも三十人ばかりの志願兵応募者の割当を受けているが、それだけの人数がどうしても出来ないし、それでは村の名誉にも拘はるから、お前は三十五歳以上で不合格になることは判っているが名前だけ是非貸してくれと頼まれたので貸したが、その後街頭へ出て見るとなるほど募集に苦心している様な宣伝ビラが沢山貼られているのを見受けた。 さような事は独り私だけではなく、他にもさような事が幾多あった様に聞いている。未だ未だ半島人は心から応募しやうとするものは少ない様だ。 滋賀県 傭人 林 秀雄 |
現在応募の動機は殆んど警察の強制的募集に依るもので、在営中内地の見学旅行、除隊後半島に於ける革新的中堅幹部として青年の指導者たる地位を得られる等の好条件に釣られ、功利的に応募した様な実状で、志願兵としての真の精神に反するものばかりである。 また総督府は必要数だけは容易に得られるのであるが、各道庁に責任数を割当て居り、後に之を講評するので、警察は勢ひ強制的に募集する様になり、ここに無理が生じ、入隊しても挨拶も出来ない様なものが入り… 朝鮮人将校 某 |
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『志願兵制度に対する朝鮮人の動向』 内務省警保局保安課 『特高月報』 1941年12月号、P108-109 |
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創氏の問題、志願兵問題等につきまして、官辺の強制と云うやうなことに関してでございますが、是は私共も仰せの如く同じやうなことを耳に致して居りましたので、…(中略)…色々事実の真相を調べて見たのであります、 必ずしも絶対にさう云ふことがなかったとは申上げ兼ねまするのでありまして、一部遺憾な事例もあるやうでして… |
帝国議会 貴族院予算委員第3分科会議事速記録(1943年2月26日) 田中武雄・朝鮮総督府政務総監の答弁 |
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小学校卒業者で、まして陸軍兵を志願する者が、日本の国柄の万国に優れた点を問われて行き詰ったり、教育勅語中一番大切な箇所を問われて的外れな答をしたり、皇国臣民の誓詞が言えなかったりしては、むしろその不用意さに驚くの外はない。 右の国家観念に関する問に対し、答えられる者も相当あるが、しかし中には棒暗記的あるいは一夜造りの準備的とって置きの答をする者がある。 |
陸軍兵志願者訓練所 塩原所長談話 雑誌『朝鮮』1939年1月号、P60 |
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志願の熱意を家庭より、或はその知友より阻まれて一時意気の阻喪した様なのもあった。 …(中略)… 特に半島の婦女子に於けるこの方面の教育の急務は、志願者の多くが、その母および妻、祖母等を納得させることに非常な苦心をしたる実状を見ても肯かれると思う。 |
朝鮮総督府 陸軍兵志願者訓練所 『志願兵を訓へて』 雑誌『朝鮮』1940年4月号、P60 |
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臨時特別志願兵採用に際りては学徒の感激は漸次昂揚し、鮮内学校に在りては一千名の適格者中僅に四十一名を残す九百五十九名即ち九割五分弱、内地在学者にして帰鮮中の適格者千五百二十九名中千四百三十一名即ち九割三分弱、同じく内地残留中の者また過半数たる七百十九名の志願を完了せり |
朝鮮総督府 第85回帝国議会説明資料 不二出版復刻版 9巻 P253 |
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而して非志願学生に対する処置としては、自発的休退学を勧奨し、之に肯ぜざる者に対しては学校当局をして休学処分を執らしむることと決定せられ、またこれら学生の所在を調査の上 (1) 朝鮮奨学会をして帰鮮を勧奨せしめ (2) 事情已むを得ざる者のみ内地に残留せしめ、錬成の上、重要産業方面に集団的に就労せしむる方針を以て、全国一斉に之が所在を調査したるる結果、別記の如く283名の非志願学生を発見し、…(中略)…当局指導の下に出頭せしめ、朝鮮奨学会をして帰鮮勧奨を為さしめたり。 |
内務省警保局保安課 『特高月報』 1944年1月号、P673-74 |
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昭和十四年陸軍特別志願兵制実施により、早晩徴兵制度の実施を見るにあらずやとは内鮮人の斉しく予測しありたるが、一般的には朝鮮人の教育程度、殊に国語普及の現況に鑑みるとき、之が具体化は尠くとも義務教育制度実施後ならんと推測しありたるに、昭和十七年五月九日、突如としえ昭和十九年度より朝鮮に徴兵制を実施する趣発表あり、各方面に異常の衝動を与へ、内鮮人斉しく其の予想以上の早急実現に■■したる次第なるが、 一般有識朝鮮人に於ては、吾人の誠意漸く認めら■皇国臣民たるの資格を与へられたるものにして義務教育の実施、参政権の附与、その他内鮮の差別撤廃も近きに在りとなし本制度の実施に感激し… |
朝鮮総督府第86回帝国議会説明資料 『徴兵制実施に対する民情如何』 |
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