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朝鮮語抑圧と日本語強要 |
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日本帝国の植民地統治は朝鮮語の使用を禁じた、と言われる問題について、改めて確かめてみます。日本人がむしろハングルを広めたとする言説については、識字率について検証した頁も併せてご覧ください。まとめ① 時代によって濃淡はあるが、日本語を押しつけ朝鮮語を抑圧したのは事実。特に1930年代後半から強権的に② 学校については、統治末期に法令で日本語使用を強制=朝鮮語を使用させないよう義務づけた ③ 1942年から、朝鮮語の段階的禁止と言える日本語常用運動が社会運動の形で全朝鮮に展開。地域・組織により濃淡があった |
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長い記事ですので、特定部分だけ読みたい方は下記のリンクからどうぞ。 学校での朝鮮語 民間の識字運動と、総督府の対応 日本語常用運動 「朝鮮語禁止はなかった」説に2行で反論 学校での朝鮮語★初等学校に対する総督府令まずは法令から、初等学校に対して日本語に関しどのような要求をしていたかを見てみます。以下は朝鮮学校令の下位法令として初等学校を規制していた総督府令です。太字下線は引用者
1930年代後半からヒートアップを始めて、'38年には日本語で授業しろと言い、'41年には「醇正なる国語」を生徒に日常生活でも使わせるようにしろと命じています。もし仮に朝鮮語の授業をするとしても、朝鮮の人達に日本語で朝鮮語を教える構図になったという事です。 同様の文言は1943年3月27日制定の中学校規程と高等女学校規程、実業学校規程にも「国語の使用を正確にしその応用を自在ならしめ、醇正なる国語生活に徹せしむべし」(第1条第8号。実業学校規程は第9号)と入れられています。 学校においては、生徒に日常生活も日本語で送らせる=生徒に朝鮮語を一切使わせないよう法令で要求する所までいった事が判ります。禁止は一切なかった、というデマはここで明確に否定されます。朝鮮語の使用を日常生活の一切において禁止することなく学生を「醇正なる国語生活に徹せしむ」事は論理的に不可能だからです。実効性があろうとなかろうと、法令上はそういう事になります。 ただし動きが法令上に見えてくるのが1938年からである事には注意が必要です。強制そのものを否定したい人が出してくるエビデンスは、往々にして圧力が緩かった時期のものを流用しているからです。 ★総督府令が定める
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役所の命令を守れと言っています。ずいぶんストレートで、わかりやすい人達が教科書を作っているようです。 やはり修身の授業を施す側としては、これが一番仕込みたい事なのでしょう。正直なことは良い事です。 |
これもまたストレートです。なにも小学校、もとい普通学校の2年生にいきなり金をお恵みなどと下品な恩着せ話などしなくてもと思うのですが、やはり「最後は金目」の発想はこの時代からのもの、ということなのでしょうか。 |
今日の普通学校は日本語全盛、日本語万能である。日本語を以て朝鮮語を圧迫するのである。質問にも日本語にあらざれば、聴取せず朝鮮人先生にも日本語でなければ応対することが出来ないのである。甚だしきに至っては朝鮮語一回に「罰金一銭也」の取締法を設けてをる奇怪な事実も数多くあるのである。朝鮮語科は教科書数も少なく時間も少ない。 |
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現下普通学校では朝鮮語を除いた外には全部日本語のみを使用するのである。のみならず前にも論じた如く取締が極めて甚だしいのである。 | |
教材の理解難と用語の不十分のため教師の期待と生徒の欲求は水泡に帰してしまうことが多く、修身課が修身教授なのか日本語教授なのか区分することが難しい位で時間を空費し徒労するのみ…算術は用語だけよく覚えておれば内容は別段難しいものではないが、説明しておる日本語を理解することが出来ないから結局算術を理解することは難しい事になる。 | |
全精力を悉く日本語に絞られて他の学科に力を注ぐ余暇がなくなる。其の結果は日本語も完全でなく、他の学科も充分でなく、なんだかんだで時間を空費し精力を空費するのである。 |
一般大衆に対しても日常極力国語使用を奨励して、遂年顕著なる効果を挙揚しつつありたるが、一部民族的偏見を有する者等は、斯ては結局朝鮮語は近き将来に於て地上より全く抹殺せらるるに至るべく、同時に四千年の歴史を有する朝鮮民族の文化は滅亡の他なく、祖先に対しまことに申訳無し等の言辞を弄し、或は一部国語を理解せざる父兄等は、自己の子弟が漸次内地語を解して、日常家庭に於てすら朝鮮語使用を忌むが如き傾向にあり、ちかぢか現社会より取残されたるが如き考より、各種非難的言辞を弄するものあり。 殊に寒心に耐へざるは、近時左の如き偏見よりする反発的あらわれとして、充分国語を解する中等程度以上の学生乃至官公吏の一部には、殊更に同僚間朝鮮語を使用せむとする傾向あるやに認めらるるものあり。 過渡的現状に於て国語使用を強行せむが為には、けだし当然起るべき事象と認めらるるも、本年十月其の誤りたる観念を是正する為、総督談話を発表、一般を戒飭したるが、爾来、非難的言辞乃至は反抗的態度より故意に朝鮮語を使用せむとするが如き傾向、漸次雲散霧消しつつあり。 (朝鮮総督府警務局「第79回帝国議会説明資料」1941年12月) |
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少年は理想的にやってゐる。国民学校では教室で先生と問答し、運動場でも常に先生と接してゐる関係から、いつも国語を使ふ。それが中等学校になると、先生と会話する機会が少くなり、殆んど話を聴くだけにとどまり、運動場でも先生は姿を見せぬので、生徒同士は自然鮮語を使用する。専門学校ではそれがなほ酷くなり、学生はノートをとるだけだから、国語使用の時間は極めて僅かなものになる。家庭に帰れば全く鮮語使用であるから、学校で国語を教へても使ふ機会がないといふのが偽らざる現状である。 (釜山日報 1942年5月3日夕刊記事、島田牛稚・朝鮮総督府学務局編輯課長談話) |
1、趣旨 本運動は半島民衆をして確固たる皇国臣民たる信念を堅持し、一切の生活に国民意識を顕現せしむるため、悉く国語を解せしめ、かつ、常用語として之を常用せしむるにある。 2、運動要目 (1) 国語常用に対する精神的指導 1.皇国臣民として国語を話し得る誇を感得せしむること 2.日本精神の体得上、国語常用が絶対必要なる所以を理解せしむること 3.大東亜共栄圏の中核たる皇国臣民として国語の習得、常用が必須の資格要件たることを自覚せしむること (2) 国語を解する者に対する方策 1.官公署職員は率先国語常用を励行すること 2.学生、生徒、児童は必ず常用すること 3.会社、工場、鉱山等に於ても極力常用を奨励すること 4.青年団、婦人会、教会その他集会に於ても国語使用に努むること 5.いやしくも国語を解する者は必ず国語を使用するは勿論、あらゆる機会に国語を解せざる者に対する教導に努むること (3) 国語を解せざる者に対する方策 1.国民学校附設国語講習所の開設 2.各種講習会の開催 3.国語教本の配布 4.ラジオによる講習 5.雑誌による講習 6.平易なる新聞の発行 7.常会に於ける指導 8.児童生徒による一日一語運動 9.各所在に於ける国語を解せる者よりの指導 (4) 文化方面に対する方策 1.文化、映画、演劇、音楽方面に対して極力国語使用を勧奨すること 2.ラジオ第二放送に国語をより多く取入れること 3.諺文新聞、雑誌に国語欄を設くること (5) 国語常用者に対する表彰および優先的処遇 1.「国語常用の家」等国語常用者または国語普及に功有る者等を表彰すること 2.公職その他の就職およびその待遇等の各般の処遇に付優先的に考慮すること (6) この際、官民協力し全鮮的本運動展開に付ての明朗かつ熱意ある機運を醸成するに努むること (7) 国語普及年次計画を樹立すること |
立派な皇国軍人は、全面的に国語の常用者であることが、絶対に必要であるべき筈である。かくして、今こそ朝鮮の人達は、永い間の使用によって得た朝鮮語への愛着も安易さも見事に振切って、ひたすら国語の常用に転ずべき時である。(中略) かくして今や全く議論を超へて、実際に国語常用を実行すべき秋である。而して其の段階としては、国語の普及にとって、まづ国語の理解者を多くせねばならぬ。さうして理解者は直ちに常用者とならねばならぬ。たとへ普及に成功をなし、所謂国語全解運動目的を達成しても、使用せなければ其の効を全くせぬ。それ故、普及運動といひ全解運動といふも、要は常用を目的としての事である。 (引用元:熊谷明泰 2006年、P59 原典は「国語普及運動の展開」 『文教の朝鮮』1942年8 月号、pp.2‒9) |