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韓国・朝鮮と日本の近代史



明治から終戦までの流れをざっくりまとめると

 ★ 日本は鎖国していた李氏朝鮮に軍艦で押しかけ、強引に国交を結び直しました。(日朝修好条規:1876年)
 ★ 日本は宗主国だった中国(清)と朝鮮を取り合いの末、痛み分けで双方身を引きました(天津条約:1885年)が、清やや有利な状況になります。
 ★ 朝鮮の農民反乱を理由に日清双方が朝鮮に兵を出して日清戦争になり、日本が勝って清を朝鮮から追い出しました。(1994-95年)
 ★ 朝鮮で実権を握っていた王妃、閔妃を日本が暗殺してしまいました。王様の高宗はロシア公使館に逃げ込み(露館播遷)日本を遠ざけました。(1896年)
 ★ 李氏朝鮮は独立国の形を整えるべく大韓帝国に改称し(1897年)、独自の近代化光武改革を進め、近代的インフラの整備に着手、各種学校を設置しました。
 ★ 北清事変(1900年)で満洲に居座ったロシアが韓国にも手を出すのではないか、と日本は警戒します。
 ★ ロシアに韓国を取られてはたまらないと焦った日本は日露戦争を仕掛け、戦況有利のうちに辛くも講和に持ち込みました。(1904-05年)
 ★ ライバルを一掃した日本は、韓国に武力で圧力をかけ、日本に併合してしまいました。(1910年)
 ★ 併合した朝鮮で日本は立法権を独占、行政・司法官憲の要職を占め差別待遇を行い、義務教育も施行せず、米穀摂取は低下、農村は貧窮し人口流出を招きました。
 ★ また三一運動、パルチザンなどの抵抗を受けながら、自由を抑圧し、末期には皇民化をはかり、強制動員や徴兵も行いました。
 ★ 日本がアジア太平洋戦争で無条件降伏し、朝鮮は独立を回復することになりました。(1945年)

年表

詳細 西暦 日本
元号
事件 日本 朝鮮
中国(清)
1875 明治8 江華島事件 海軍軍艦が仁川沖に侵入、挑発
朝鮮側応戦を誘い戦闘
1876 明治9 日朝修好条規締結 関税自主権なし、治外法権ありの不平等条約
1882 明治15 壬午事変 日本公使館員も殺害される 大院君派がクーデター 朝鮮に派兵してクーデター鎮圧
斉物浦条約 日本公使館護衛の軍隊の駐留を朝鮮に認めさせる
1884 明治17 甲申事変 開化急進派クーデター支援失敗 開化急進派クーデター失敗 軍隊でクーデター鎮圧
1885 明治18 天津条約 日清双方が朝鮮から兵を引き揚げ。
派兵の際は相互に事前通知
日清双方が朝鮮から兵を引き揚げ。
派兵の際は相互に事前通知
1889 明治22 明治憲法発布 防穀令発令 米の輸出制限発動
1894 明治27 東学農民革命勃発 閔氏政権と日本の駆逐を掲げ農民が反乱
日清戦争勃発 朝鮮に出兵し、清と開戦 日清戦争を開戦
1895 明治28 下関講和条約 清−朝鮮の宗属関係を完全解消
閔妃暗殺事件 日本公使三浦悟楼が閔妃暗殺を実行、朝鮮官民の離反を招く
 ↓ここからロシア
1896 明治29 露館播遷 高宗王がロシア公使館に避難、ロシア庇護の下に政権確保
1897 明治30 清との冊封解消により大韓帝国に国号変更
自力近代化を目指す光武改革を始める
1900 明治33 北清事変に伴い満洲占領、居座る
1902 明治35 日英同盟 日英同盟を結びロシアに対抗
1904 明治37 日露戦争勃発 日露戦争開戦 日本に全面的に戦争協力させられる 日露戦争開戦
1905 明治38 第二回日英同盟 韓国、インドを互いの勢力圏と認めあう
桂・タフト覚書 韓国、フィリピンを日米互いの 〃
ポーツマス条約 ロシアを韓国から排除 韓国に手を出さないと約束
第二次日韓協約 日本は韓国の外交権を取り上げ、保護国化
1907 明治40 ハーグ密使事件 日韓協約の無効を国際社会に訴え失敗
第三次日韓協約 日本は韓国の内政主権も取り上げ、実質植民地化
義兵運動 民衆の抵抗続く
1909 明治42 伊藤博文韓国統監、暗殺さる
1910 明治43 韓国併合 併合条約で韓国を消滅させ、日本領朝鮮に
↓ここから日本(朝鮮総督府) ↓ここから朝鮮(民族)
1910 明治43 新聞廃刊、団体解散命令(一進会も) 犯罪即決令、会社令など制定
1911 明治44 土地収用令、森林令、朝鮮教育令など制定
1914 大正3 武装抗日運動、満洲に脱出
1919 大正8 三一運動 三一運動弾圧するも、武断統治から文化統治に転換 三一独立運動発生 全土に広がる
上海に大韓民国臨時政府設立
1920 大正9 産米増殖計画始める(〜1934年)
1925 大正15 元山ゼネスト発生
1929 昭和4 光州学生事件発生
1935 昭和10 民間の識字向上運動禁止 この頃、満洲で抗日ゲリラ活発に活動
1939 昭和14 労務者強制連行 国家総動員法による内地などへの朝鮮人労務者動員開始、やがて強制連行
1940 昭和15 創氏改名 創氏改名 日本式家族制度の強要
1942 昭和17 朝鮮語抑圧強化 国語常用運動を開始 日本語使用、朝鮮語不使用の圧力を全朝鮮に展開
官斡旋による労務者強制連行の強化
1944 昭和19 朝鮮人への徴兵開始
1945 昭和20 日本帝国敗戦 日本帝国の無条件降伏により、朝鮮の独立回復決定