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光武改革〜日露戦争と朝鮮・韓国


あらまし

 ★ 閔妃を暗殺した日本は朝鮮国内の反発を呼び、王・高宗と政権にロシアを頼らせる結果となり、新たなライバルと苦境を呼び込んでしまいます。
 ★ 李氏朝鮮は大韓帝国と国号を変え、独自の近代化「光武改革」を進めます。
 ★ 韓国の中立国化を模索する動きが英国、韓国、そしてロシアからも出てきますが、日本はことごとく拒否します。
 ★ 韓国保護国化に拘ってロシア牽制を試みる日本は、満洲確保に拘り日本を牽制するロシアと決裂し、自ら日露開戦に踏み切ると同時に韓国を占領します。
 ★ 継戦能力の限界に達したところで、日本は辛くもロシアとの講和に持ち込み、韓国からロシアを排除する事に成功します。
 ★ ライバルの居なくなった日本は、韓国を武力と脅迫で保護国化します。

 日露戦争と言えば203高地だ日本海海戦だという向きに、うんざりしている私です。
 ミリタリーネタは決して嫌いではありませんが、戦争は武芸の試合ではないのです。
 武芸の試合は勝てばいいだけでしょうが、戦闘に勝てば戦争も勝ちというものではありません(これをわかっていない輩が多すぎる!)。
 有名な格言の通り、戦争は別の手段による外交の継続であって、問題にするなら個々の戦闘ではなく外交目的がどう達成されたかに注目すべきです。
 しかも、戦争は戦って勝つのが良い事なのかどうか自体を問われるものです。

 戦争の意味は、その結果がもたらした政治・外交状況によって決まります。
 日露戦争の結果、日本は韓国を保護国化し、旅順・大連の租借地と南満洲鉄道の利権ををロシアから引き継いだままポケットに入れました。
 日清戦争もそうですが、戦場の大半は相手国でも日本でもなく、第三国の韓国であり中国でした。
 戦争のターゲットにされた韓国を軸に一連の流れを振り返ってみると、日露戦争の本当の目的が見えてきます。
 それは果たして無邪気に喜べるような代物なのか、考えてみるべきではないでしょうか。

 もう一つのターゲットとされた中国については、別の年表で流れをおさえたいと思います。


年表

大筋だけおさえるには、大文字のところだけ拾って流し読みしてしてください。

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西暦 明治 月日 日本 韓国 ロシア
1895 28 10/8 乙未事変(閔妃暗殺事件)  三浦公使の謀略により暗殺隊が王宮に侵入、閔妃らを暗殺
1896 29 1月 太陽暦に切り替え
断髪令を契機に「国母復讐」を唱える反日義兵闘争が始まる
2/11 【露館播遷】 親露派がクーデターを起こし、王・高宗を日本の圧力の及ばないロシア公使館に移す 開化派閣僚は暗殺・一掃される ←仁川停泊中の軍艦将兵がクーデターを助力
5/14 小村・ウェーバー協定
閔妃殺害で後退した日本の地位を反映しつつ一連の事件の処理。親露派政権を承認。日本の朝鮮駐屯兵員数を制限、同数のロシア兵の配置を承諾
小村・ウェーバー協定
露館播遷後に成立した内閣とロシア兵駐留を日本に認めさせる。日露が高宗に王宮帰還を勧告
6/3 露清密約締結 日本と交戦になったら相互支援
前年の借款の見返りに東清鉄道の敷設権獲得
6/9 山県・ロバノフ協定  小村・ウェーバー協定を土台に、朝鮮半島における日露間の勢力均衡を定める 山県・ロバノフ協定  秘密条款
7月 独立協会設立 (徐載弼・李完用など)
自主独立・自由民権・自強改革を提唱
独立新聞を発行 迎恩門を撤去し独立門を建立
7月 漢城市内の下水改良工事に着手
鉄道規則6ヵ条を公示 標準軌を採用
9/30 ソウル都市改造計画始動 「漢城の道路の幅を改定する件」が内部令として出される
1897 30 2月 国王、ロシア公使館を出て慶雲宮に遷宮
10月 国号を大韓帝国に改称、高宗が皇帝即位
清の属国でない独立国である事を明確化
光武改革(〜日露戦争による終止まで)。
王宮主導で
、旧法を土台にて新法を取り入れる旧本新参方針による近代化諸策
1898 31 3月 旅順・大連の租借権を清から獲得
東清鉄道南満洲支線の敷設権獲得
4/25 西・ローゼン協定
@日露両国は韓国の独立を認め内政干渉しない
A韓国への軍事教官等派遣は両国で事前協議
B露は韓国での日本産業の発展を阻害しない
韓国の反発を受け軍事教官・財政顧問を引き揚げ、
西・ローゼン協定を結び日本との関係改善を図る
西暦 明治 月日 日本 韓国 ロシア
1898 31 9月 毒茶事件 高宗と皇太子(後の純宗皇帝)がコーヒーに阿片を盛られ、皇太子に障碍を残す
10月 独立協会と政府が官民共同会を開く 1万人参加
議会設立要求に応じ中枢院に民選議官を入れる
12月 加藤増雄公使、韓国皇帝・高宗に進言 高宗、独立協会を強制解散
背景に守旧派の誣告と加藤公使進言
光武量田 土地調査事業を開始 地主に地契発給
日露戦争で中断するまで全国の2/3の郡で実施
漢城電気会社を設立 ソウル市への電力供給
京元線湖南線の鉄道計画策定
1899 32 5月 漢城電気がソウルで市電営業開始
8/22 基本法大韓国国制を制定 絶対君主制
京義線(ソウル〜義州の鉄道)の敷設権をフランスから回収、自国での建設を試みる
各種の学校教育規則を制定 この年までに医科・師範・外語学校等を設立、留学生派遣
1900 33 日本に対し韓国中立国化の交渉申し入れ
ロシアに対抗して、馬山向かいの巨済島租借要求 日露いずれの租借要求も拒否 釜山近郊の馬山を韓国に租借要求
北清事変に乗じて、中国の東三省を占領
万国郵便連合に正式加入
1901 34 1月 ロシアの韓国中立国化提案を拒否 駐日公使から日本に対し、列国の共同保障による韓国の永世中立化を提案
(7月にヴィッテ外相から再提議)
2月 貨幣条例を施行
4月 英米と共に、露清密約案に抗議 満洲独占を志向する第二次露清密約を断念
英米日の抗議をバックにした清の承認拒否による
6月 緊縮財政をめぐる閣内不一致で伊藤内閣辞職
桂太郎内閣発足 韓国の保護国化を方針とする
漢城製織会社など、紡績会社多数が設立される
1902 35 1/30 ロシアを牽制したい英国と日英同盟締結
4/8 満洲還付条約を清と調印 半年おき3回で撤兵
5/31 漢城〜開城に電話開通、漢城市内電話交換開始
1903 36 3月 中央銀行条例を公布
4/8 満洲からの2回目撤兵不履行
権益独占のため清に新たな要求
5月 日本の進出を鴨緑江で食い止めようとする意図 
と推測←
鴨緑江河口韓国領内の竜岩浦で森林事業開始
1896年の契約に基づくものと主張
6月 七博士意見書(対露強硬論)が新聞発表される ニコライ2世、日本の韓国統括権を認める決断
7月 東清鉄道が旅順まで開業、全線開通(単線)
8月 満韓交換論を軸とする対露交渉を申し入れ 日露に対する戦時局外中立を方針決定
対外工作開始
満韓交換論に反発
極東総督府を設置、極東独自で動ける体制に
10月 小村・ローゼン交渉を東京で開始
満韓権益相互承認、国境両側に中立地帯の案
小村・ローゼン交渉を東京で開始
12月 ロシア回答に満足せず開戦を決意 ロシア対案提出
韓国領の軍事利用不可、満洲に関しては規定せず
1904 37 1/21 韓国の局外中立宣言を承認せず← 戦時局外中立を宣言
英仏独伊・デンマーク・清が承認
西暦 明治 月日 日本 韓国 ロシア
1904 37 2/8 【日露開戦】 旅順のロシア軍に夜間攻撃開始 【日露開戦】 旅順で艦隊に夜間攻撃を受ける
2/9 【韓国侵攻を開始】 仁川に陸軍部隊上陸 局外中立崩壊
2/10 ロシアに宣戦布告 日本に宣戦布告
2/12 漢城を占領 首都漢城を日本軍に占領される 駐韓公使と警備兵が漢城から退去
2/23
日韓議定書を占領下の韓国に署名させる @日本が韓国内政を指導 A第三国の侵害または内乱の危険ある時は日本が「臨機必要の措置」をとり韓国は協力、日本は必要な地点を占領できる
日韓議定書反対の大臣李容翊を拉致のうえ日本で軟禁10ヶ月 ほか反対者の高級将校を漢城から追放
5/1 鴨緑江会戦 中韓国境で日露初めての陸上戦闘 鴨緑江会戦 鴨緑江渡河の日本軍と陸上戦闘
5/18 韓露条約廃棄 竜岩浦等の森林伐採権も取り消し
5/31 対韓施設綱領を閣議決定 植民地経営プラン
7/2 韓国国内に軍律を公布 @軍用電線・鉄道に加害したら死刑、A犯人隠匿も死刑、B軍施設の保護は地域の連帯責任とし犯人捕まらねばむち打ち刑 1906年10月までに軍律で処分された韓国人は
死刑35人、監禁・拘留46人、笞刑100人など
8/19 旅順総攻撃1回目(失敗) 旅順篭城戦開始
8/22 第一次日韓協約を締結 韓国に日本政府推薦の財政・外交顧問を置かせ、外交権を制限
9/14 始興民擾 京畿道始興で数千の民衆が郡守と日本人2人を殺害 ほか電信線切断・工事妨害頻発
9/25 谷山民擾 黄海道谷山郡で京義線建設人夫徴発をめぐり数千の民衆が衝突、日本人7人らを殺害
10/8 日本軍、反日活動対策として韓国咸鏡道の占領地域に軍政を施行
12月 韓国に在外公館廃止を要求
1905 38 1/2 旅順陥落 旅順開城
1/22 現地越冬の日本軍、白米食で脚気患者11万人
麦飯で解決
血の日曜日 ペテルブルクで請願デモを銃撃、死者千人超。暴動全国化、ロシア第一革命
3/10 奉天会戦終了、前進 死傷者7万人
資源を使い尽くし、満洲戦線は戦闘継続不能に
奉天会戦終了、後退 死傷者9万人
4/1 通信主権を剥奪 韓国の郵便・電信電話事業を日本政府に委託する取極に調印
4/8 韓国保護権確立の件を方針として閣議決定
5/28 日本海海戦に勝利 日本海海戦でバルチック艦隊壊滅
5/31 日露講和を提案してくれるよう米国に内密に依頼 (自ら講和を乞うと不利になるための迂回策)
米国は満洲の市場開放を前提に協力了解
6/7 米国からの講和斡旋を皇帝が直接受諾
ロシア第一革命激化 戦艦ポチョムキン反乱、数千人の労働者が軍隊と市街戦
7/1 通貨発行権を剥奪 日本の第一銀行が韓国通貨発行銀行となる
7/27 桂・タフト覚書(日米の密約)
 韓国、フィリピンを互いの支配地域と認め合う
7/31 樺太全島を占領
8/12 第二回日英同盟調印
 韓国、インドを互いの支配地域と認め合う
→朴斉純外相から日英に対し抗議 両国は無視
9/5 ポーツマス講和条約調印
@ 韓国は日本の勢力圏、ロシアは不干渉
A 双方の満洲からの撤兵(鉄道関連除く)
B 旅順大連の租借権と南満洲鉄道を日本に譲渡
C 南樺太の日本への割譲
ポーツマス講和条約調印

日露戦争終結
西暦 明治 月日 日本 韓国 ロシア
1905 38 9/7 日比谷焼打ち事件 講和条件に不満の民衆が全国の都市部で暴動、東京市の交番の8割が襲撃される 東京市に戒厳令を発令、軍隊出動して鎮圧
10月 議会開設を詔書で約束 ロシア第一革命収束へ
11/17 第二次日韓協約を武力恫喝で調印
 米英了解の下に韓国から外交権を剥奪、日本の統監府を設置
1906 39 1月 皇帝が海外に国書を送り、日韓協約無効を訴え、諸大国が韓国を5年間共同保護する事を要請
3月 愛国啓蒙運動 大韓自強会が結成され、他団体が続く 教育、出版、民族資本確立の提唱等活動
義兵闘争 第二次日韓協約に憤慨する民衆が武装反乱を各地で起こす
1907 40 2月 国債報償運動 急激に増えた日本からの借款1300万ウォンを国民募金で返済し干渉を防ぐ呼びかけ、600万ウォンを集めるが日本の弾圧で挫折
6月 ハーグ密使事件
ハーグで開催の万国平和会議に皇帝が密使を送り、日韓協約の無効と国権回復を訴えようとするが失敗に終わる
7/19 高宗皇帝退位 ハーグ密使事件を口実に退位に追い込む
7/24 第三次日韓協約を調印させる
 内政も統監府・日本人官吏が掌握、韓国の主権剥奪
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