西暦 |
明治 |
月日 |
日本 |
韓国 |
ロシア |
1895 |
28 |
10/8 |
乙未事変(閔妃暗殺事件) 三浦公使の謀略により暗殺隊が王宮に侵入、閔妃らを暗殺 |
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1896 |
29 |
1月 |
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太陽暦に切り替え
断髪令を契機に「国母復讐」を唱える反日義兵闘争が始まる |
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2/11 |
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【露館播遷】 親露派がクーデターを起こし、王・高宗を日本の圧力の及ばないロシア公使館に移す 開化派閣僚は暗殺・一掃される |
←仁川停泊中の軍艦将兵がクーデターを助力 |
5/14 |
小村・ウェーバー協定
閔妃殺害で後退した日本の地位を反映しつつ一連の事件の処理。親露派政権を承認。日本の朝鮮駐屯兵員数を制限、同数のロシア兵の配置を承諾 |
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小村・ウェーバー協定
露館播遷後に成立した内閣とロシア兵駐留を日本に認めさせる。日露が高宗に王宮帰還を勧告 |
6/3 |
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露清密約締結 日本と交戦になったら相互支援
前年の借款の見返りに東清鉄道の敷設権獲得 |
6/9 |
山県・ロバノフ協定 小村・ウェーバー協定を土台に、朝鮮半島における日露間の勢力均衡を定める |
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山県・ロバノフ協定 秘密条款 |
7月 |
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独立協会設立 (徐載弼・李完用など)
自主独立・自由民権・自強改革を提唱
独立新聞を発行 迎恩門を撤去し独立門を建立 |
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7月 |
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漢城市内の下水改良工事に着手 |
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鉄道規則6ヵ条を公示 標準軌を採用 |
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9/30 |
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ソウル都市改造計画始動 「漢城の道路の幅を改定する件」が内部令として出される |
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1897 |
30 |
2月 |
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国王、ロシア公使館を出て慶雲宮に遷宮 |
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10月 |
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国号を大韓帝国に改称、高宗が皇帝即位
清の属国でない独立国である事を明確化 |
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光武改革(〜日露戦争による終止まで)。
王宮主導で、旧法を土台にて新法を取り入れる旧本新参方針による近代化諸策 |
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1898 |
31 |
3月 |
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旅順・大連の租借権を清から獲得
東清鉄道南満洲支線の敷設権獲得 |
4/25 |
西・ローゼン協定
@日露両国は韓国の独立を認め内政干渉しない
A韓国への軍事教官等派遣は両国で事前協議
B露は韓国での日本産業の発展を阻害しない |
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韓国の反発を受け軍事教官・財政顧問を引き揚げ、
西・ローゼン協定を結び日本との関係改善を図る |
西暦 |
明治 |
月日 |
日本 |
韓国 |
ロシア |
1898 |
31 |
9月 |
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毒茶事件 高宗と皇太子(後の純宗皇帝)がコーヒーに阿片を盛られ、皇太子に障碍を残す |
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10月 |
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独立協会と政府が官民共同会を開く 1万人参加
議会設立要求に応じ中枢院に民選議官を入れる |
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12月 |
加藤増雄公使、韓国皇帝・高宗に進言 |
高宗、独立協会を強制解散
背景に守旧派の誣告と加藤公使進言 |
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光武量田 土地調査事業を開始 地主に地契発給
日露戦争で中断するまで全国の2/3の郡で実施 |
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漢城電気会社を設立 ソウル市への電力供給
京元線、湖南線の鉄道計画策定 |
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1899 |
32 |
5月 |
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漢城電気がソウルで市電営業開始 |
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8/22 |
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基本法大韓国国制を制定 絶対君主制 |
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京義線(ソウル〜義州の鉄道)の敷設権をフランスから回収、自国での建設を試みる |
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各種の学校教育規則を制定 この年までに医科・師範・外語学校等を設立、留学生派遣 |
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1900 |
33 |
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日本に対し韓国中立国化の交渉申し入れ |
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ロシアに対抗して、馬山向かいの巨済島租借要求 |
日露いずれの租借要求も拒否 |
釜山近郊の馬山を韓国に租借要求 |
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北清事変に乗じて、中国の東三省を占領 |
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万国郵便連合に正式加入 |
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1901 |
34 |
1月 |
ロシアの韓国中立国化提案を拒否 |
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駐日公使から日本に対し、列国の共同保障による韓国の永世中立化を提案
(7月にヴィッテ外相から再提議) |
2月 |
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貨幣条例を施行 |
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4月 |
英米と共に、露清密約案に抗議 |
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満洲独占を志向する第二次露清密約を断念
英米日の抗議をバックにした清の承認拒否による |
6月 |
緊縮財政をめぐる閣内不一致で伊藤内閣辞職
桂太郎内閣発足 韓国の保護国化を方針とする |
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漢城製織会社など、紡績会社多数が設立される |
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1902 |
35 |
1/30 |
ロシアを牽制したい英国と日英同盟締結 |
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4/8 |
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満洲還付条約を清と調印 半年おき3回で撤兵 |
5/31 |
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漢城〜開城に電話開通、漢城市内電話交換開始 |
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1903 |
36 |
3月 |
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中央銀行条例を公布 |
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4/8 |
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満洲からの2回目撤兵不履行
権益独占のため清に新たな要求 |
5月 |
日本の進出を鴨緑江で食い止めようとする意図
と推測← |
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鴨緑江河口韓国領内の竜岩浦で森林事業開始
1896年の契約に基づくものと主張 |
6月 |
七博士意見書(対露強硬論)が新聞発表される |
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ニコライ2世、日本の韓国統括権を認める決断 |
7月 |
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東清鉄道が旅順まで開業、全線開通(単線) |
8月 |
満韓交換論を軸とする対露交渉を申し入れ |
日露に対する戦時局外中立を方針決定
対外工作開始 |
満韓交換論に反発
極東総督府を設置、極東独自で動ける体制に |
10月 |
小村・ローゼン交渉を東京で開始
満韓権益相互承認、国境両側に中立地帯の案 |
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小村・ローゼン交渉を東京で開始 |
12月 |
ロシア回答に満足せず開戦を決意← |
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ロシア対案提出
韓国領の軍事利用不可、満洲に関しては規定せず |
1904 |
37 |
1/21 |
韓国の局外中立宣言を承認せず← |
戦時局外中立を宣言
英仏独伊・デンマーク・清が承認 |
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西暦 |
明治 |
月日 |
日本 |
韓国 |
ロシア |
1904 |
37 |
2/8 |
【日露開戦】 旅順のロシア軍に夜間攻撃開始 |
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【日露開戦】 旅順で艦隊に夜間攻撃を受ける |
2/9 |
【韓国侵攻を開始】
仁川に陸軍部隊上陸 |
局外中立崩壊 |
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2/10 |
ロシアに宣戦布告 |
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日本に宣戦布告 |
2/12 |
漢城を占領 |
首都漢城を日本軍に占領される |
駐韓公使と警備兵が漢城から退去 |
2/23
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日韓議定書を占領下の韓国に署名させる @日本が韓国内政を指導 A第三国の侵害または内乱の危険ある時は日本が「臨機必要の措置」をとり韓国は協力、日本は必要な地点を占領できる |
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日韓議定書反対の大臣李容翊を拉致のうえ日本で軟禁10ヶ月 ほか反対者の高級将校を漢城から追放 |
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5/1 |
鴨緑江会戦 中韓国境で日露初めての陸上戦闘 |
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鴨緑江会戦 鴨緑江渡河の日本軍と陸上戦闘 |
5/18 |
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韓露条約廃棄 竜岩浦等の森林伐採権も取り消し |
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5/31 |
対韓施設綱領を閣議決定 植民地経営プラン |
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7/2 |
韓国国内に軍律を公布 @軍用電線・鉄道に加害したら死刑、A犯人隠匿も死刑、B軍施設の保護は地域の連帯責任とし犯人捕まらねばむち打ち刑 |
1906年10月までに軍律で処分された韓国人は
死刑35人、監禁・拘留46人、笞刑100人など |
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8/19 |
旅順総攻撃1回目(失敗) |
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旅順篭城戦開始 |
8/22 |
第一次日韓協約を締結 韓国に日本政府推薦の財政・外交顧問を置かせ、外交権を制限 |
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9/14 |
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始興民擾 京畿道始興で数千の民衆が郡守と日本人2人を殺害 ほか電信線切断・工事妨害頻発 |
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9/25 |
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谷山民擾 黄海道谷山郡で京義線建設人夫徴発をめぐり数千の民衆が衝突、日本人7人らを殺害 |
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10/8 |
日本軍、反日活動対策として韓国咸鏡道の占領地域に軍政を施行 |
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12月 |
韓国に在外公館廃止を要求 |
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1905 |
38 |
1/2 |
旅順陥落 |
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旅順開城 |
1/22 |
現地越冬の日本軍、白米食で脚気患者11万人
麦飯で解決 |
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血の日曜日 ペテルブルクで請願デモを銃撃、死者千人超。暴動全国化、ロシア第一革命に |
3/10 |
奉天会戦終了、前進 死傷者7万人
資源を使い尽くし、満洲戦線は戦闘継続不能に |
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奉天会戦終了、後退 死傷者9万人 |
4/1 |
通信主権を剥奪 韓国の郵便・電信電話事業を日本政府に委託する取極に調印 |
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4/8 |
韓国保護権確立の件を方針として閣議決定 |
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5/28 |
日本海海戦に勝利 |
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日本海海戦でバルチック艦隊壊滅 |
5/31 |
日露講和を提案してくれるよう米国に内密に依頼 (自ら講和を乞うと不利になるための迂回策)
米国は満洲の市場開放を前提に協力了解 |
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6/7 |
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米国からの講和斡旋を皇帝が直接受諾 |
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ロシア第一革命激化 戦艦ポチョムキン反乱、数千人の労働者が軍隊と市街戦 |
7/1 |
通貨発行権を剥奪 日本の第一銀行が韓国通貨発行銀行となる |
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7/27 |
桂・タフト覚書(日米の密約)
韓国、フィリピンを互いの支配地域と認め合う |
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7/31 |
樺太全島を占領 |
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8/12 |
第二回日英同盟調印
韓国、インドを互いの支配地域と認め合う |
→朴斉純外相から日英に対し抗議 両国は無視 |
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9/5 |
ポーツマス講和条約調印
@ 韓国は日本の勢力圏、ロシアは不干渉
A 双方の満洲からの撤兵(鉄道関連除く)
B 旅順大連の租借権と南満洲鉄道を日本に譲渡
C 南樺太の日本への割譲 |
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ポーツマス講和条約調印
日露戦争終結 |
西暦 |
明治 |
月日 |
日本 |
韓国 |
ロシア |
1905 |
38 |
9/7 |
日比谷焼打ち事件 講和条件に不満の民衆が全国の都市部で暴動、東京市の交番の8割が襲撃される 東京市に戒厳令を発令、軍隊出動して鎮圧 |
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10月 |
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議会開設を詔書で約束 ロシア第一革命収束へ |
11/17 |
第二次日韓協約を武力恫喝で調印
米英了解の下に韓国から外交権を剥奪、日本の統監府を設置 |
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1906 |
39 |
1月 |
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皇帝が海外に国書を送り、日韓協約無効を訴え、諸大国が韓国を5年間共同保護する事を要請 |
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3月 |
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愛国啓蒙運動 大韓自強会が結成され、他団体が続く 教育、出版、民族資本確立の提唱等活動 |
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義兵闘争 第二次日韓協約に憤慨する民衆が武装反乱を各地で起こす |
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1907 |
40 |
2月 |
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国債報償運動 急激に増えた日本からの借款1300万ウォンを国民募金で返済し干渉を防ぐ呼びかけ、600万ウォンを集めるが日本の弾圧で挫折 |
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6月 |
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ハーグ密使事件
ハーグで開催の万国平和会議に皇帝が密使を送り、日韓協約の無効と国権回復を訴えようとするが失敗に終わる |
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7/19 |
高宗皇帝退位 ハーグ密使事件を口実に退位に追い込む |
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7/24 |
第三次日韓協約を調印させる
内政も統監府・日本人官吏が掌握、韓国の主権剥奪 |
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