西暦 |
月日 |
欧州 |
独・伊 |
日本 |
米国 |
1939 |
9/1 |
第二次世界大戦勃発
独、ポーランド侵攻 |
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1940 |
5/15 |
オランダ本国軍、ドイツに降伏
女王は英国に亡命政府維持 |
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6/14 |
パリ陥落 フランス、ナチスと休戦
ヴィシーにペタン政権樹立 |
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7 |
Battle of Britain
ドイツ、英本土へ航空攻撃開始 |
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7/26 |
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基本国策要綱を閣議決定
日本支配による東亜新秩序の建設を謳う |
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ナチス・ドイツの快進撃を見た日本は、この「基本国策要綱」によって、
『八紘一宇』、すなわち天皇が頂点に立つ「大東亜の新秩序」を建設する、
「日満支を一環とし大東亜を包容する皇国の自給自足経済政策」を確立する、と閣議決定します。 |
7/27 |
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世界情勢の推移に伴ふ時局処理要綱
時機を見て南方進出のため武力行使、
英国との交戦を計画
対米戦にも用意と明記 |
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前日の閣議決定を受け、更に具体的に軍事行動などの方針を規定しています。
特に第三条において、「南方」に武力行使する、英国をその相手と想定する、この為には米国との戦争も想定して準備すると明記しています。
その目的は「日満支を骨幹とし概ね印度以東豪州、新西蘭以北の南洋方面を一環とする自給態勢を確立」としており、この時点で既に資源自給のための戦争まで視野に入れていた事が証明されます。 |
9/23 |
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北部仏印進駐 援蒋ルート遮断と南進の
為、ハノイ進駐をヴィシー政権に呑ませる |
→武力による現状破壊と非難
屑鉄と航空機用ガソリンを
対日禁輸 |
9/27 |
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独伊に欧州の、日本に東アジアの指導的地位を相互認定
米国と開戦した国を他の同盟国が援助と規定(米国への牽制)
→日本、米英との対立を決定的に |
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日本は独伊の欧州に於ける、独伊は「日本国の大東亜に於ける新秩序建設に関し指導的地位を」(第2条)認め互いに尊重する、いずれかが第三国から攻撃されたら相互援助する、という内容です。
これにより、日本は第二次大戦においてドイツ側に明確に立ち、また世界再分割を枢軸国間で認め合った形になりました。
但し、日本当局が描いていた日独米ソによる世界再分割の絵は、翌年6月の独ソ戦開始で文字通り絵に描いた餅に終わります。 |
12/29 |
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ルーズベルト大統領、炉辺
談話で「米国は民主主義の
兵器廠になる」と宣言 |
1941 |
2/12 |
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日米交渉開始 中国問題・通商正常化・
三国同盟などにつき協議(野村大使) |
日米交渉開始
(ハル国務長官) |
4/13 |
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日ソ中立条約調印 |
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西暦 |
月日 |
欧州 |
独・伊 |
日本 |
米国 |
1941 |
6/22 |
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独ソ戦開始
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7/2 |
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情勢の推移に伴ふ帝国国策要領を決定
情勢に拘らず南方進出決行の方針
対英・対米戦争辞さず、対ソ戦も準備 |
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独ソ戦開始で北進=対ソ戦の誘惑に揺れ動きながらも、「世界の情勢変転の如何に拘らず」「大東亜共栄圏を建設」する、と御前会議で南進の方針を決定しました。英国に加え米国との戦争も辞さないと明記されています。「自存自衛」の文言も登場しています。
これに従い、同月南部仏印進駐が行われています。 |
7/21 |
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南部仏印進駐を察知、日米
交渉の基盤なくなると警告 |
7/25 |
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日本の進駐方針を確認、
在米日本資産凍結 |
7/28 |
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南部仏印進駐 タイ、ビルマへの圧力確保
シンガポールが航空爆撃可能圏内に |
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在英日本資産凍結
日英通商条約
廃棄通告(英) |
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南部仏印進駐に態度硬化、
対日石油禁輸 |
よく開戦の言い訳に使われる米英両国の対日石油禁輸ですが、順番は日本帝国の開戦方針決定より後である事が明白です。
石油を禁輸されたから「自存自衛」が持ち上がったのではない事も、出来事の順番から明らかです。
そもそもこれまで見た通り「自存自衛」とは資源の自給の事であり、正当防衛という意味ではありませんでした。
アジア太平洋戦争は、石油禁輸の前年、ナチスの破竹の進撃に触発され、すでに日本帝国の国策とされていたのです。 |
8/14 |
大西洋憲章
(英) |
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大西洋憲章を
英国と共に発表 |
9/6 |
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御前会議 帝国国策遂行要領を決定
対米交渉決裂 |
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10/18 |
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東條英機内閣成立 |
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11/5 |
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御前会議 帝国国策遂行要領を決定 |
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11/20 |
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南方占領地行政実施要領を決定
資源確保に重点、独立運動は抑圧 |
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開戦後何をするかを決めた文書です。 ひとまず占領体制を固めた後に出てくるのは国防資源確保の話です。「要領」のニから五まで、ほぼ資源確保と輸送の話で占められています。
そして現住民族の独立運動は当面抑えろと言っており、「アジアの解放」など全く目的外であった事が、この史料で証明されます。 |
11/26 |
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真珠湾攻撃部隊出発 |
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11/27 |
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(米国時間11月26日)
いわゆるハル・ノートを提案 |
12/1 |
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開戦決定
御前会議で対米交渉不成立と判断 |
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12/8 |
アジア太平洋戦争開戦
(日本時間)午前1時30分 英領マレー半島コタバルに上陸開始(宣戦布告無し)
午前3時19分 真珠湾奇襲攻撃開始
午前4時20分 ワシントンで米国に宣戦布告通知 |