資料:情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱1941年7月2日 御前会議決定 南方=東南アジア侵略と、その為に英国と交戦する方針は、前年7月の世界情勢の推移に伴ふ時局処理要綱で既に決定されていました。 この要綱では「世界の情勢変転の如何に拘らず」=もはや時期を選ばず「大東亜共栄圏を建設」すると唱え、英国に加え米国との戦争も辞さないと明記されています。 これに従い、同月南部仏印進駐が行われ、米国の対日石油輸出禁止・在米日本人資産凍結・日英通商航海条約廃棄などの厳しい制裁措置を受けました。 また、日ソ中立条約を同年4月に締結したにも拘らず、独ソ戦が枢軸有利に推移すれば「北方」へも武力行使するとしています。 この要綱決定後、ソ連の戦力を東部シベリアにひきつけてドイツを側面支援するべく関東軍特種演習が行われています。 「対英米戦を辞せず」南部仏印進駐を決行した事、また基本方針は前年の1940年夏に決まっている事を考えれば、南部仏印より後に行われた米英の経済制裁をABCD包囲網などと称し、「日本はやむを得ず自衛のため受け身で開戦した」などという言い訳の通る余地はありません。日本帝国は「わかっていて、先に手を出した」のが、これら一連の内部文書で明らかです。
|