八紘一宇とは何か
日中戦争からアジア太平洋戦争にわたり喧伝されたスローガンの一つが「八紘一宇」(はっこういちう)です。 1940年には皇紀2600年記念と称して、日本全国や朝鮮などからも石材を集めて、宮崎に「八紘一宇の塔」なる記念物を建てたりもしました。なんとも無神経なことに、この塔は戦後も解体されず現存しています。 開戦に至る政府中枢の内部文書にも出てきます。肇国とは建国の事です。
戦後は軍国主義と戦争を煽った言葉として、独立回復後もなんとなく封印されました。 自民党の右派の大物にして、戦争中は海軍主計将校として実戦も経験した中曽根康弘は、首相時代に次のように答弁しています。
このように、戦争推進と正当化のためのスローガンとして手垢のねっとりついた言葉だと記憶されてきましたが、安倍政権になってペナルティボックスからひっぱり出そうとした議員が居ます。 自民党の三原じゅん子議員が参議院で、「八紘一宇は建国以来の日本の大事な価値観であり、この理念の下に国際社会に働きかけをすべき」だと発言しています。以下がその問題発言の議事録原文です。
この時は、麻生、安倍両大臣ともにはっきり否定しない答弁でお茶を濁していますが、歴史を知る人から少なからぬ批判が起こりました。 質問した当の三原じゅん子は、雑誌のWebサイトで以下のように開き直り、あろうことか2.26事件まで擁護し出す始末です。
由来が忘れられているのをいいことに、「日本人の知らない歴史の真実ジャーン!」をここでもやるつもりなのでしょう。 こうやって、1秒に1ミリずつ隣の女子高生ににじり寄る痴漢よろしく、なし崩しに戦前の軍国主義を正当化されたのではたまりません。 そもそも「八紘一宇」が建国以来の理念という主張そのものがウソです。この言葉は 「周知のとおり、日蓮宗系国粋主義団体国柱会の創始者田中智学(巴之助)が、著書 『日本国体の研究』 (1922年) において提示した造語にほかならない」 (北條勝貴「〈八紘〉概念と自民族中心主義」 歴史評論2016年2月号、P76) という代物です。 そこで、当時の日本帝国政府が「八紘一宇」をどのような意味で使っていたのか、改めて確認することにします。 以下の史料は内閣情報部が1939年に配布した『八紘一宇の精神』 という資料です。政府の、それも内閣が発行しているので、これが当時の政府見解だと考えられます。
「八紘一宇」とは天下を一つの家とするという意味で、今日の日本が「皇道」なるものを世界宣布=世界に布教する姿だ、と述べられています。 中心がそびえ立ち、その教義だか思いこみだかが光線になって周囲の下々を照らすなどと、安い宗教画みたいな事を言っています。 これだけではいささか抽象的なので、具体例を探すとこんな事が書いてあります。
神武天皇が威力を頼って、「凶徒」つまり逆らった人達を殺して東征したと言っています。要は戦争して支配下に置いたという事です。 これをもって神武天皇が「八紘をおおって宇と為す」(八紘為宇)と言った、ことになっています。 この神武東征を指して、「津々浦々までことごとく皇都と同様に皇化に浴せしめ」つまり同化を強いて、「御稜威」なるものを敷いた、と言っています。 御稜威(みいつ)という言葉も当時よく使われましたが、『「いつ(厳)」の尊敬語。御威光。御威勢。』(大辞林)という意味です。 同じく「厳(いつ)」を大辞林でひくと『@神聖であること。斎いみ清められていること。A勢いの激しいこと。威力が強いこと』とあります。 要するに「ウチの大将の神聖な威光と威力」というほどの意味ですね。 つまり、この内閣情報部パンフによれば、神武天皇の八紘一宇とは「抵抗者を戦争で倒して天皇の威力の下に敷き、神聖だと拝ませて同化を強いた」という事です。 日本書紀の読み方として正しいかどうかは問題ではありません。このような意味で当時の日本帝国政府が「八紘一宇」の語を使っていた点が重要です。 もう少しだけ続きを見てみます。
更に上の説明が補強されています。 「わが八紘一宇の大精神」なるものは、この御稜威=神聖な天皇陛下の威力と威光を、日本国内に限らず地球全体に拡張して、天皇の威光で諸国民を「更正」し、天皇を大御稜威(二重装飾かな)として仰がせる一つの家つまり家父長体制のサル山にする、と言っています。 その模範として、傀儡国家「満州国」を例に挙げています。 以上をまとめると八紘一宇とは、 「天皇を崇めさせ日本帝国を頂点として同化を強いる家父長的世界征服」 と理解できます。 過剰に肥大したプライドの腐臭に鼻がひん曲がるばかりです。 右の写真は植民地下の朝鮮で撮影されたもので、少しずれた画角で撮影されたものがあちこちで見受けられるため「撮影会のヤラセ」と思われますが、これと同じ事を占領地でもやらせた為、特に他宗教の信仰が篤い所では「異なる神を礼拝させた」として激しい反発を買ったと言います。 日本帝国に無条件降伏を迫ったポツダム宣言第6条(下記)は、日本帝国は世界征服を目論んでいたと決めつけています。
その同盟締結の詔書で八紘一宇は皇祖皇宗の大訓だとか、意図を同じくする独伊両国との提携協力などと言ってしまった以上、「八紘一宇って世界征服の事じゃないか!」と言われても否定は無理筋というものです。 政治に使う言葉は、政治的に使われた歴史的文脈で理解されます。 いくら「本来の意味」と称して別の意味づけを強弁しようと、かつて公式かつ大々的に使われた意味にも解釈されるのは避けられません。 一度付与された意味は、消すことができないのです。少なくとも、問題となる意味づけを視界の脇に追いやれるほど強い影響力のある別の使われ方をしない限り、問題となる意味づけが力を失う事はありません。 「平和」という言葉が時々「積極的平和主義」などと某国首相に逆の意味で乱用されるのと違い、「八紘一宇」の最も頻繁な使い方は圧倒的に「日本帝国の家父長的世界征服」で、これは到底ひっくり返りません。無力化できるような材料がないのです。 しかも「八紘」という言葉は 『広く漢籍や漢訳仏典にみることができる』 『中心から放射状に広がるものとして構想された、極めて中華思想的特徴を持っている』 (北條、前掲、P85) という、はじめから自民族中心偏重の腐臭ただよう代物なので、「本来の意味」も逃げ場になりません。 他に代わる言葉があるのにわざわざ軍国主義の手垢が染みわたった言葉を使う理由はなく、百害あって一利もありません。それでも敢えて使い、社会的受容をなし崩しに進めれば、それに付随する歴史的意味の受容に手を貸す事になります。 強い国が弱い国を助けろと言いたければ「相互扶助」と言えば済む話です。「世界は一家、人類はみな兄弟」とTVCMを大量に流していた右翼の大物が昔居ましたが、この言い換え?でもいいではないですか。 「大東亜戦争」など他の言葉にも同じ事が言えます。代わる言葉が他にあるのに、わざわざ汚れた歴史を背負う言葉を使う必要は全くありません。 あるいは旧軍が用いた旭日旗のように、代わる旗がデザインされず未だに用いられているものについても、軍国主義の過去ときれいに切り離しけじめをつける意味で、早急に「代わる物」を考案したほうが精神衛生上好ましいでしょう。 そのような軍国主義の手垢にまみれた言葉をわざわざ用い、「混乱の時代にあって、人々を救済するスローガンだったと思う」などと口走るような危険人物を国会に座らせておいてよいのか、有権者一人ひとりが心して考え直すべきではないでしょうか。 トップページへ 『アジア太平洋戦争』トップへ |