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日中全面戦争からアジア太平洋戦争突入へ


あらまし


 ★1937年、北京郊外の盧溝橋で日中両軍の偶発的衝突が起き、現地軍の強硬姿勢により不拡大方針が頓挫して上海、南京に戦火が拡大します。
 ★南京を落とせば中国は屈服するとの日本の読みは外れ、蒋介石政権は中国世論を背景に徹底抗日を唱え日本との全面対決に入ります。
 ★行き詰まった日本は「蒋介石を相手にせず」と宣言して戦線を拡大した挙句行き詰まり、汪兆銘を重慶から脱出させ南京に傀儡政権を作らせる方針を採ります。
 ★中国権益を護りたい英国は、仏領インドシナとビルマ経由の「援蒋ルート」で蒋介石を援助し、米国もこれに同調します。
 ★不況下で日本を重要輸出先としていた米国、物資途絶を避けたい日本・中国の思惑から、米国中立法の適用を逃れるべく日中戦争を戦争として扱わない状況がしばらく続きます。しかし米国は日本の中国侵攻に反対であり、通商条約破棄など徐々に牽制を強めます。
 ★1939年第二次大戦が勃発し、1940年夏にナチスドイツがオランダ、フランスを陥し英国に攻撃を開始すると、これら3国の東南アジア植民地が手薄になります。
 ★日本はこれを便乗の好機と見て、援蒋ルート遮断と資源入手のため東南アジア侵略を画策し、日独伊三国同盟を結んで枢軸国を形成、更に世界再分割を夢想するに至ります。
 ★第二次大戦で英国を支援する米国は、日本の侵略拡大を強く警戒し、北部仏印進駐を受けて航空用ガソリンの禁輸に踏み切ります。
 ★独ソ戦が始まり、日本は便乗姿勢を強めて米国の制止を聞かず南部仏印進駐を決行します。英米は日本への経済制裁に踏み切り、追い込まれた日本は資源確保のため東南アジアへの侵攻を決断します。
 ★日本は「ハル・ノート」を機に日米交渉を打ち切り、太平洋戦争を開戦します。

年表

西暦 月日 欧州 独・伊 日本 中国 米国
1936 12                                                  西安事件 国民党と共産党が停戦
1937 7/7 盧溝橋事件 北京郊外で日中武力衝突。日中戦争勃発
8/13 日本軍、上海に戦闘拡大
10/15 大統領の隔離演説
「戦争は伝染病ゆえ、戦争を起こす日本は隔離を要す」
11/21 大本営設置
12/13 日本軍、中国首都南京を占領 南京大虐殺
蒋介石、首都を武漢に移転
1938 1/16 近衛首相「国民政府を相手にせず」声明
日本軍、徐州・広東・武漢へ侵略拡大
4 国家総動員法公布
議会承認なしに人・物資の統制可能に
6 蒋介石、首都を重慶に移転
10/27 日本軍、武漢三鎮占領
11/3 近衛首相、「東亜新秩序声明
12 汪兆銘、重慶脱出         
1939 7 日米通商条約破棄を通告
7/1-
9/16
ノモンハン事件 「満州」−モンゴル国境
紛争、ソ連・モンゴル軍と戦闘し大敗
8/23 独ソ不可侵条約
締結
9/1

第二次世界大戦勃発

独、ポーランド侵攻
11 援蒋ルート遮断のため華南等に戦域拡大
1940 1/26 日米通商条約失効
任意の物資を禁輸可能に
3/30 南京国民政府
汪兆銘に樹立させる
(日本の傀儡政権)
5/15 オランダ本国軍、ドイツに降伏
女王は英国に亡命政府維持
6/14 パリ陥落 フランス、ナチスと
休戦 ヴィシーにペタン政権樹立
7 Battle of Britain
ドイツ、英本土へ航空攻撃開始
西暦 月日 欧州 独・伊 日本 中国 米国
1940 7/26 基本国策要綱を閣議決定
日本支配による東亜新秩序の建設を謳う
7/27 世界情勢の推移に伴ふ時局処理要綱
時機を見て南方進出のため武力行使、
英国との交戦を計画

対米戦にも用意と明記
9/23 北部仏印進駐 援蒋ルート遮断と南進の
為、ハノイ進駐をヴィシー政権に呑ませる
→武力による現状破壊と非難
屑鉄と航空機用ガソリンを
対日禁輸
9/27

日独伊三国軍事同盟成立

独伊に欧州の、日本に東アジアの指導的地位を相互認定
米国と開戦した国を他の同盟国が援助と規定
→日本、米英との対立を決定的に
12/29 ルーズベルト大統領、炉辺
談話で「米国は民主主義の
兵器廠
になる」と宣言
1941 2/12 日米交渉開始 中国問題・通商正常化・
三国同盟などにつき協議(野村大使)
日米交渉開始
(ハル国務長官)
4/13 日ソ中立条約調印
西暦 月日 欧州 独・伊 日本 中国 米国
1941 6/22

独ソ戦開始

7/2 情勢の推移に伴ふ帝国国策要領を決定
情勢に拘らず南方進出決行の方針
対英・対米戦争辞さず、対ソ戦も準備
7/7 関東軍特種演習 満洲に70万人動員
対ソ戦準備と関東軍増員効果
7/21 南部仏印進駐を察知、日米
交渉の基盤なくなると警告
7/25 日本の進駐方針を確認、
在米日本資産凍結
7/28 南部仏印進駐 タイ、ビルマへの圧力確保
シンガポールが航空爆撃可能圏内に
在英日本資産凍結
日英通商条約
廃棄通告(英)
南部仏印進駐に態度硬化、
対日石油禁輸
8/14 大西洋憲章
(英)
大西洋憲章
英国と共に発表
9/6 御前会議 帝国国策遂行要領を決定
対米交渉決裂
10/18 東條英機内閣成立
11/5 御前会議 帝国国策遂行要領を決定
11/20 南方占領地行政実施要領を決定
資源確保に重点、独立運動は抑圧
11/26 真珠湾攻撃部隊出発
11/27 (米国時間11月26日)
いわゆるハル・ノートを提案
12/1 開戦決定
御前会議で対米交渉不成立と判断
12/8 アジア太平洋戦争開戦
(日本時間)午前1時30分 英領マレー半島コタバルに上陸開始(宣戦布告無し)
午前3時19分 真珠湾奇襲攻撃開始
午前4時20分 ワシントンで米国に宣戦布告通知


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