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誰がアジアを解放したのか



 

要点:

(1) 日本帝国はアジアを日本自身から解放していない。日本が戦争に負けていなければ、アジア諸国の独立もなかった
(2) 東アジア諸国の独立は、各々の国民が自らかちとった。特にベトナムとインドネシアは日本も相手として独立戦争を戦った
 

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少しだけ一緒に覗いて確かめてみませんか。



 日本帝国が白人からアジアを解放した、という言い草の馬鹿馬鹿しさは、肝心の日本自身から解放しなかった事で明白なだけではなく、昔日の白人コンプレックスを未だに全開にしている滑稽さからも少なからず醸し出されています。
 こんな事を言う連中にとっては、21世紀の今ですら白人だけが「外人」なのでしょう。オバマ政権下の米国の大統領を白人に描いた絵を出した政党がありましたが、この連中にお前もアジア人だよと言ったら怒り出しそうな気配を感じるのは私だけでしょうか。

 3年ほどの短い日本統治は、激しいインフレ、食糧の収奪、住民の労務動員、華僑虐殺など、解放とはほど遠い過酷な支配でした。
 占領統治の中身の面から見ても、日本帝国の行いはむしろ「解放」の対極にあるものでした。
 左の絵は、マレーシアの歴史教科書に載せられていたものです。1988年版ですから、まだ生き証人が大勢、社会の現役で活躍していた時代です。そんな時代に通用した社会認識に立てば、日本の敗戦とイギリス統治への復帰こそが解放であった、という事がこの挿し絵一つにも表れています。

 これよりは多少つつましく、日本がアジア諸国の独立を助けたのだと弁解する向きもあります。
 ここでは、この言い分について簡単に確認します。結論から言えば、日本帝国が意図的にアジア諸国の独立を助けた実績はありません
 もし影響を語るなら、むしろ日本帝国の敗戦がアジア諸国の独立に寄与したというべきでしょう。
 まずは日本帝国がまだはっきりとは負け戦に転落していなかった時期に決定した、占領・交戦地域の扱いを図にして眺めてみましょう。
 (「日本帝国の戦争目的を一次史料で見る」のページ最後部で説明している図と同じものです)
 日本の方針は日本領編入、傀儡政権、現状放置の三択でした。

 現在マレーシア・シンガポール・ブルネイ・インドネシアになっている地域は概ねまるごと日本帝国に編入です。解放もへったくれもありません。
 1944年にフィリピン東方のマリアナ諸島を失い、インドネシア地域が孤立した為に、民心をつなぎ止めるべく独立容認に舵を切りましたが、これは日本が戦局不利の為強いられたもので、本意の方針ではありませんでした。

 フィリピンとビルマは戦前すでに独立や自治領化が決まっていました。

 もし日本帝国が戦争に負けなかったら、東アジアの地図は最悪、右図のようになっていました。
 そして、以下に見る独立戦争の敵方は、ことごとく日本になっていたでしょう。

 では、東アジア諸国は実際にはどのようにして植民地の地位から「解放」され、独立したのか。
 日本の侵略対象になった主な国の、独立に至る簡単な年表を作ってみました。

 結論から言えば、ベトナムとインドネシアは日本を含む占領者・宗主国等と独立戦争を戦い、自ら独立を勝ち取っています。
 旧イギリス領諸国は一度イギリス領に復帰したうえで、終戦後しばらくを経てイギリスとの交渉により、非暴力的に独立を果たしています。
 戦時中まで含めて考えれば、現地国民はビルマでは正規軍として、フィリピンではゲリラとして日本帝国と交戦しています。
 日本の侵攻に直接依存して独立し今日に至っているケースは、一つもありません。

西暦 フィリピン ベトナム マレーシア シンガポール インドネシア ビルマ
1933
1934 独立法制定
1935 自治政府発足
1936
1937 インドから分離
バーモウ首相就任
1938
1939 英国、ビルマの
自治領化方針を明言
1940 日本軍北部仏印進駐
1941 ベトミン結成
第二次大戦で
自治領化交渉頓挫
日本軍南部仏印進駐 ウーソオ首相解任
1942 日本占領
フィリピン政府亡命
日本が占領(1月) 日本が占領(2月) 日本が占領 日本が占領
植民地議会廃止
1943 大東亜会議に
スカルノ招かれず
傀儡政権樹立
バーモウ首相を再任
1944 米軍レイテ島上陸
フィリピン政府帰還
マリアナ諸島陥落で
孤立、独立容認へ
1945前半 米軍が
フィリピン解放
仏印処理
日本の傀儡政権樹立
ビルマ軍、
日本に宣戦布告
ベトミン解放区樹立 ラングーン解放
     日 本 降 伏
西暦 フィリピン ベトナム マレーシア シンガポール インドネシア ビルマ
1945後半 ホーチミン独立宣言 英領に復帰 英領に復帰 スカルノ独立宣言 英領に復帰
↓独立戦争 国軍、日英蘭と交戦
1946 戦前予定通り独立 ↓独立戦争
1947
1948 マラヤ連邦結成 円満に独立
1949 米圧力で蘭が和平
1950 単一共和国樹立
1951
1952
1953
1954 ジュネーブ協定
南北分裂
1955
1956
1957 マラヤ連邦独立
1958 内政自治権獲得
1959
日本の方針 傀儡政権樹立 フランス領 日本領に編入 日本領に編入 日本領に編入 傀儡政権樹立
独立戦争 なし 対フランス なし なし 対日・英・蘭 なし
旧宗主国の
独立承認
1946年 1954年 1957年 1963年
(マラヤ連邦加入)
1949年 1948年

 これで納得いただけたでしょうか。
 アジアを解放したのはアジアの人びと自身であり、日本の敗戦はそのための必要条件でした。例外はありません。

 往生際の悪い向きが、わざわざ私財を投じてムルデカなんとかと言う映画を作ったりして歴史をねじ曲げようとしていますが、各々の国ごとにもっと詳しく歴史をひもとけば、それらのパラレルワールド・ファンタジーも潰れる運命にあります。
 特に、かつて「アジアで唯一、日本の軍歌を歌っても叩き出されない国」と言われたインドネシアについては、歴史の虚飾に使われる材料がいろいろあるので、別途重点的にフォローします。



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