大東亜ハイパーインフレ狂乱圏日本帝国は東アジア一帯を占領して「大東亜共栄圏」なるものを建設すると称していましたが、果して占領された地域は栄えたのでしょうか。 一つの指標になるのがインフレ率です。 もちろんインフレ率だけで全てがわかる訳ではありませんが、極端に乱高下していれば生活が円滑でなかった事はわかります。 そこで、日本帝国が侵攻していた主な都市の物価状況を見てみましょう。 日本銀行が編纂した『日本金融史資料 昭和編』という大部の資料集があります。この 第30巻を後ろから開く※と、P159〜161に占領した各都市の物価指数が収録されています。このデータを拾ってグラフにしてみます。 ※余談ですがこの本、前から漢数字で、後ろからアラビア数字でページ番号が振られており、前は本文、後ろは統計集になっています。
この点を誰もが数字をもってきちんと主張できるよう、元データの数字を提供します。出典は上述の『日本金融史資料 昭和編』 第30巻です。 東南アジア諸地域通貨発行高及物価指数 (1941年12月〜1945年8月) 極東アジア諸地域物価指数 (1937年7月〜1945年8月:朝鮮、台湾、「満州国」、北京、上海) 円系通貨発行高 (1937年7月〜1945年8月) コピー&ペーストでExcelなどの表計算ソフトに落としてお使い下さい。 あわせて、主な区間の物価上昇率を下記しておきます。
原因は軍の通貨「撒布」どうしてこんなにひどいインフレになったのか、当時の日本銀行がレポートを残しています。 南方に於けるインフレーションの問題(1943年12月9日、全文収録) 興味のある方は上記リンク先を見ていただくとして、要旨次のような事が書いてあります。 ⇒ インフレの主因は、日本への輸出超過、駐屯日本軍の戦費調達、輸入依存品の現地生産不振の3つ ⇒ そのうち最も大きな要因が日本軍の戦費調達。 東南アジアに侵攻した日本軍は、当初は日本から送り込んだ軍票で、1943年4月からは日本帝国が設置した通貨発券銀行である 南方開発金庫からの借金で戦争資金をまかなっていた ⇒ 南方地域に於ては、一般物価の全面的抑制は実行困難。経済統制が困難なうえ、貯蓄性向が低いので撒布資金を吸収できず 日本軍は兵站の配慮が足らず、食糧などの現地調達を公然と標榜していたのは有名ですが、戦費も借金で現地調達していたのです。 通貨の発券銀行からの借金は、発券銀行に通貨=お札を発行させるのと同じ事です。現在の日本円も、一般銀行が日銀から借金する事で世の中に流通しています。 通常、この借金のレベルは制御されているので、通貨の流通量もほどほどに保たれていますが、発券銀行から返せない借金を重ねて使いまくれば、お金を作ってばら播いているのと変わりません。 そんな事をすれば貨幣価値が下がってインフレになるのは自明の理です。 「作戦行動の活発なる地域がインフレの程度もおのずから大なることより観て、之を包含せる軍の撒布資金が現地インフレの主要原因たることは明らか」、と日銀もはっきり書いています。撒布資金とはストレートに言ったものです。 インフレ対策も記されていますが、南方は農業国で食糧を自給できるからなんとかなるだろう、などと結論部分に書いてしまっています。死なないからいいや、と言うようなもので、投げやりの気配濃厚です。 一部の日本人と少数の外国人しか使わない日用品が〜、などとも書いていますが、そもそも物価指数は標準的な消費構造を固定したうえで、測定対象の品目やウェイトを決めて測るものですから、一部のぜいたく品が騰貴しているだけなら、物価指数はハネ上がりません。物価指数は否応なく当該地域の物価推移の全体を示しているはずのものです。 現在の日本の消費者物価指数も、「家計の消費構造を一定のものに固定し、これに要する費用が物価の変動によって、どう変化するかを指数値で示したもの」であって、「指数計算に採用している各品目のウエイトは総務省統計局実施の家計調査の結果等に基づいています」(総務省統計局Webより)。日用品云々の言い訳も投げやりな強弁と観るべきで、軍の「撒布資金」を止められない環境下での無理筋な対策を求められないよう予防線を張ったのでしょう。 このレポートが書かれたあと更にインフレが悪化したのは、上のグラフが示す通りです。 トップページへ 『アジア太平洋戦争』トップへ |