終戦時の証拠隠滅日本帝国の無条件降伏から70年を迎えようとする2015年の8月10日、読売新聞の1面に右のような記事が出ました。 朝日、毎日、読売などの新聞には縮刷版というものがあります。過去の新聞を縮小印刷して月ごとに製本したもので、大きな図書館にはたいてい置いてあります。 この記事ももちろん読売新聞の縮刷版に収録されており、図書館に行けば原文を読むことができますが、この記事で奥野誠亮なる人物がこんな事を言っています。
この奥野という人物は、戦後自民党国会議員となり、国土庁長官時代の1988年5月に靖国神社を公式参拝したあげく「"大東亜戦争"は侵略じゃなかった」と国会でやらかして長官辞任に追い込まれています。 日本帝国に不利な証言を捏造するような人物ではありません。 ではなぜ、このような歴史的戦争犯罪の証拠隠滅などという悪業を、いけしゃあしゃあと語れるのか。 それは、この組織的焼却事件がとっくの昔におおっぴらになっているからに他なりません。
阿南陸相は終戦時の陸軍大臣です。大蔵省では、当時の大臣自身がこんな赤裸々な証言をしています。
防衛省も認めています。
証拠文書焼却の命令書自体も焼却の対象とされていたようで、殆んど現存していませんが、あちこちに痕跡は残っています。
焼却は連合国から資料保存の命令が来る前の隙をついて行われたためか、処罰されなかったようです。 裁判所が焼却意図の確証まで押さえていたら、焼却指示者も厳罰に処せられていたかもしれません。
ここでは、組織的文書焼却が行われた事を納得していただくために最小限の引用・紹介に留めます。 これでもかという位エビデンスを見たい方は、 「ekesete1のブログ」2015年8月25日の記事「敗戦時の文書焼却・隠蔽」 に紹介されていますのでご覧ください。 証拠は「ない」のではない。「公文書が焼かれた」もしくは「公文書が見つからない」だけ歴史的事実を否定したい向きが、よく「証拠がない」と騒いでいます。「証拠がない」と騒ぎ続け、やがてそれを「事実がない」にすり替えてくる手口の物言いが絶えません。 確かに、加害者が事件から時を置かず自分自身に不利な記述を自由に書き残した文書には、決定的と言っていいほど高い証拠能力があります。 当サイトも、この理由から日本帝国当局が残した当時の文書に重きをおいています。 しかし、だからといって、日本当局以外の文書や、被害者をはじめとする当事者の証言、物証などに証拠能力がない訳ではありません。 時々、被害者の証言に対して「それは証言に過ぎない」と謎の反論?をしている手合いが居ますが、証言も証拠なので「それは証拠に過ぎない」と言うに等しく、意味不明です。文書よりも入念な吟味は必要ですが、証言同士の整合性や独立性、裏付けなどを吟味すれば充分に採用できるもので、頭から否定するのは被害者たる証言者への侮辱でもあります。厳に慎まねばなりません。 日本帝国の戦争犯罪や所業について、内部文書が残っていないのは、上に見た通り大量の公文書が焼却隠滅されたからです。 従い、「残されているはずの該当公文書がない」事は、事件の事実関係を否定する根拠になりません。 そういう場合は、関係者の証言や物証、日本帝国の公文書以外の文書をかき集めて判断すればよいのです。それで満足すべきです。加害者側文書で確認できないのは、上に見た通り加害者の責任です。 トップページへ 『アジア太平洋戦争』トップへ |