日清戦争は、実は日本軍が李氏朝鮮の王宮を占領する所から始まっていました。
日本軍が清軍に先制攻撃をかける2日前の事です。
この王宮占領について、たまたま近くを通った日本軍に朝鮮側が発砲したから応戦したのだ、と当時の日本帝国政府は
言い訳をしました。これを今でも信じる向きがあるようですが、単なる応戦なら片付いて後すぐに引き揚げている筈です。
実際には、予め電信線を切断し救援を呼べないようにしたうえで、門塀破壊用の工兵隊も用意して計画的に王宮に侵入
したのであり、戦闘も事前に想定されていました。
朝鮮政府は最早 我勧告を採用するの望 断へたるを以て、本使は 七月十日附機密第一二二号中に記し置きたる 乙案施行の手筈を為しつつあり 然れども 王宮を囲襲することは 貴大臣より以上の訓令ある迄は差扣ゆべし
本使は七月十九日 我兵の為めに営所を建設すべき旨朝鮮政府へ要求し、又 属邦保護の口実を以て 清国兵の永く朝鮮国内に駐屯するは 朝鮮国の独立を侵碍するものなれば 之を駆逐すべき旨 七月二十日同政府へ要求せり 而して右に対する回答は七月二十二日を以て限りとせり (後略)
(前略) 一 午後六時報第二号の電報を大本営へ呈す 公使の求めに依り 明朝王宮を囲む 開戦は免れざるべし(并に今後の決心を述ぶ) (中略) 一 同時 福島中佐より 義州電線のことに付 電報あり 直に之に返電 切断に決す 一 午後十時廿分着福島中佐より電報 委細承知 明朝までに其作業を終ゆべし(義州線の切断) (中略) 一 午後十時四十分着福島中佐より電報 南大門及西大門を開かざるときは 一戸大隊にて四時に破る筈なり 一 本日午前七時の密議、公使の求めに依り計画及準備せること左の如し 一 各隊に通弁を■付す 一 明廿三日 午前三時半前に公使より通牒なければ 軍隊は直に出発王城を脅威す 一 彼れより発砲するときは 正当防御する事 別に通知せず銃声にて知るべし 一 日本居留地近傍は 歩兵第十一連隊第一大隊にて 巡邏を担当すべし 一 午前四時を期し出発 光賢門 東大門 東北門に出兵して警戒するは 在京城第一大隊の任とす (中略) 一 第廿一連隊に工兵一小隊を付し 爆薬を用ゆる場合(門もしくは石垣の破壊)に供す (中略) 一 王の逃亡後を囲むは益なし 故に 徹夜に景幕宮付近を探偵せしむることは 公使館の担当 一 徹夜に及べば 諸方にかがり火を焚くこと 一 大院君護衛は 第十一連隊大尉田上覚 一中隊を卒ひ従事す 岡本穂積両名 先きに其宅に入り居る 大院君の供は四五十人 内日本人変服十四五人あり
七月廿三日午前一時廿分発 同 午前九時着 公使の求めにより明日朝 王宮を囲む筈 たたかい[戦鬥]はどぬかれ(免れならん)さるべし 義昌の本来の考は大同江に敵兵来らさる前 牙山兵を撃破するにあれども ご通知の景況に依ればその暇なし (中略) 義州電線■今夜は亦手にて切る筈 然れば京釜線も彼れの為に切らるべし
廿七年七月廿三日午前八時十分発 〃 〃 〃 午後三時七分着 朝鮮政府は本使の電信に述べたる第二の要求に対し甚だ不満足なる回答を為せしを以て、やむを得ず王宮を圍むの断然たる処置を執るに至り、本使は七月廿三日早朝に此手段を施し朝鮮兵は日本兵に向て発砲し双方互に砲撃せり
一、午前〇時三十分着大島公使より電報 計画の通り実行せよ 一、午前四時 各隊は昨日の計画の通り運動を始む 旅団長は京城公使館に入られ西島歩兵中佐は■■代理せらる 一、午前四時半 韓兵発砲せるを以て我よりも応射■戦始まる 一、午前六時三十分着一戸少佐より 戦門地より■■の人の言に我隊の配備前五時頃全く終り五時十分頃宮城に侵入せりと云ふ 一、午前五時四十分 竜山司令部に留守せん西島中佐に戦始りたりと電報す 一、午前五時五十分着武田中佐より 四時四十七分 迎秋門を破壊するも薬量不足にて破れず 尚破壊の為め少々時間を要す (以下略)
此日 分遣第二小隊は 歩兵第二十一連隊と共に王城に向て行進し 午前五時頃王城西側の一門を破毀すべき命を受け 直に之を実施せしに 綿火薬半数は爆発せずして焼燃したる為め奏功なく 第二回も同様なりし 此時 通弁一人 門側の壁を越え 内に入り門を開きしを以て 余衆之れより侵入し 工兵小隊は歩兵隊の後尾より王城に入り 後ち興化門の守衛に充てられ 午後七時頃本隊に復帰す |
日本軍が侵入した景福宮迎秋門(1975年復元)を外から見たところ。
同じく、内側から見たところ。
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