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押しつけ憲法論がダメなこれだけの理由



 今の憲法は恥ずかしい、と放言して憚らず、立憲主義をまるで理解していない輩が首相になる時代を迎えてしまいました。

 日本国憲法は、日本を破滅に追い込んだファシズムの当事者、信奉者が至る所に健在だった時代に、彼らの意に全く沿わない民主主義の平和国家を建設するために作られました。意に沿わない憲法が押しつけに映るのはある種のトートロジーに過ぎず、彼らは昔からずっと同じ恨み言をたれ流し続けています。

 戦後70年以上を経て、当事者の殆んどは鬼籍に入りましたが、中途半端な後継者が未だに右画像のようなプロパガンダをたれ流しています。右の絵は自民党が作成した漫画政策パンフレットで、悔しがっているのは小手先改憲案をGHQに蹴られ対案を突きつけられた松本烝治国務大臣ですが、連中も70年以上ずっとこういう心境なのでしょう。

 しかし、連中がいくらけなしても悔しがっても、この憲法下で日本が復興し、再び戦禍を蒙る事もなく、GNP世界第二位に到達する繁栄を手にした輝かしい実績はひっくり返りません。
 国をダメにする憲法だったら、先進国の仲間入りなどできる筈ないではありませんか。

 改憲しない事によって、日本国民はこの憲法を半世紀以上にわたり選び続けてきました。もはや制定時の経緯に関係なく、この憲法は主権者の自主的な意志で存在する自主憲法です。

 そういう次第で、今さら押しつけられて作った云々とほじくり返す事に何の意味もないのは明らかですが、そもそも本当に連中の言う通り「押しつけ」られて作ったのでしょうか?
 ケチのつき所は少ない方が良いので、いま一度検証してみましょう。

結論から言えば、「押しつけ憲法」論は歴史的にも誤りです。



(1) ポツダム宣言受諾により、その条件も受諾している。


 ポツダム宣言にはこう書いてありました。
 受諾した以上遵守するのは当然で、遵守して独立回復するには国家体制すなわち憲法を条件通りに変えるしかないのも自明でした。後から文句を言える筋合いはありません。
六、 吾等は無責任なる軍国主義が世界より駆逐せらるるに至る迄は平和、安全および正義の新秩序が生じ得ざることを主張するものなるを以て、日本国国民を欺瞞し之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる者の権力および勢力は永久に除去せられざるべからず。
十、 (第一段省略)
日本国政府は日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙(しょうがい)を除去すべし。
言論、宗教および思想の自由ならびに基本的人権の尊重は確立せらるべし。
十二、 前記諸目的が達成せられ、かつ日本国国民の自由に表明せる意思に従ひ平和的傾向を有しかつ責任ある政府が樹立せらるるに於ては、連合国の占領軍は直に日本国より撤収せらるべし。
(太字は引用者)
同じ理由で、「交戦中の敵国の法律を変えるのはハーグ陸戦法規違反」という主張も否定されます。ポツダム宣言という特別法を受諾した以上、特別法であるポツダム宣言が一般法であるハーグ陸戦法規より優先されるからです。
なお、これに加えて、そもそも交戦法規であるハーグ陸戦法規は終戦後には適用されないというのが学界の通説です。
参考: 日本国憲法=押しつけ憲法」論は理論に値するのか?(8):ハーグ陸戦条約の適用はありません 
                                                (上脇博之 ある憲法研究者の情報発信の場) 

 これだけでおしまいでも良いのですが、ついでに経緯も見てみましょう。


(2) 象徴天皇制と軍備放棄を言い出したのは、日本政府の代表である幣原首相であり、GHQではない。


 1月24日に幣原首相が秘密裡にマッカ−サー元帥を訪問し、象徴天皇制と軍備放棄を申し入れたうえで、「国体の変更」は日本人から言い出せないのでGHQから命令を出す形にして欲しいと要請しています。幣原は死の10日ほど前、元秘書官の平野三郎(後に衆議院議員、岐阜県知事)にこう語っています。

 そのことは此処だけの話にして置いて貰わねばならないが、実はあの年(昭和二十年)の暮から正月にかけ僕は風邪をひいて寝込んだ。僕が決心をしたのはその時である。それに僕には天皇制を維持するという重大な使命があった。元来、第九条のようなことを日本側から言いだすようなことは出来るものではない。まして天皇の問題に至っては尚更である。この二つは密接にからみ合っていた。実に重大な段階にあった。
『幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について ─平野三郎氏記─』 憲法調査会事務局、1964年2月 太字、下線は引用者
収録:『日本国憲法 9条に込められた魂』 鉄筆文庫、2016年 P141
 この考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮りにも日本側からこんなことを口にすることは出来なかった。憲法は押しつけられたという形をとった訳だが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。
 そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出して貰うよう決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。松本君(松本烝治。幣原内閣当時の憲法改正担当国務大臣)にさえも打明けることの出来ないことである。したがって誰にも気づかれないようにマッカーサーに会わねばならぬ。
 幸い僕の風邪は肺炎ということで元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰いそれによって全快した。そのお礼ということで僕が元帥を訪問したのである。それは昭和二一年の一月二四日である。その日、僕は元帥と二人切りで長い時間話しこんだ。すべてはそこで決まった訳だ。
同上 P143-144 太字は引用者
 マッカーサーは非常に困った立場にいたが、僕の案は元帥の立場を打開するものだから、渡りに舟というか、話はうまく行った訳だ。しかし第九条の永久的な規定ということには彼も驚ろいていたようであった。僕としても軍人である彼が直ぐには賛成しまいと思ったので、その意味のことを初めに言ったが、賢明な元帥は最後には非常に理解して感激した面持で僕に握手した程であった。
 元帥が躊躇した大きな理由は、アメリカの戦略に対する将来の考慮と、共産主義者に対する影響の二点であった。それについて僕は言った。
同上 P144
 対するマッカーサーも同様の事を書き残しています。
 幣原男爵は一月二十四日の正午に、私の事務所をおとずれ、私にペニシリンのお礼を述べたが、そのあと私は男爵がなんとなく当惑顔で、何かをためらっているらしいのに気がついた。私は男爵に何を気にしているのか、とたずね、それが苦情であれ、何かの提議であれ、首相として自分の意見を述べるのに少しも遠慮することはないと言ってやった。
 首相は、私の軍人という職業のためにどうもそうしにくいと答えたが、私は軍人だって時折りいわれるほど勘がにぶくて頑固なのではなく、たいていは心底はやはり人間なのだと答えた。
 首相はそこで、新憲法を書き上げる際にいわゆる「戦争放棄」条項を含め、その条項では同時に日本は軍事機構は一切もたないことをきめたい、と提案した。そうすれば、旧軍部がいつの日かふたたび権力をにぎるような手段を未然に打消すことになり、また日本にはふたたび戦争を起す意思は絶対にないことを世界に納得させるという、二重の目的が達せられる、というのが幣原氏の説明だった。
 首相はさらに、日本は貧しい国で軍備に金を注ぎ込むような余裕はもともとないのだから、日本に残されている資源は何によらずあげて経済再建に当てるべきだ、とつけ加えた。
 私は腰が抜けるほど驚いた。
原著:"REMINISCENCES by Douglas McArthur" 1964年 / 津島一夫訳 『マッカーサー大戦回顧録』 中公文庫版、P456-457 下線は引用者

 現実社会のしがらみが無くなってから別々に公表された当事者双方の発言が一致しており、かつ幣原発言は側近への内密の話で嘘を言う動機が無く、マッカーサーの記述は"手柄"を相手に渡す内容です。
 マッカーサーは既に同様の発言を1951年5月、米国上院の公聴会で行っていますが、幣原が秘密裡に上の経緯を言い残して逝去した2ヶ月ほど後の事でした。

 マッカーサーが芝居がかった人物だったとの評はあちこちの文献で目にします。また、回想記の類はそのまま信用できないとの指摘もあります。
 GHQ民政局で憲法草案起草を務めたスタッフの内、リーダーのケーディスを含め何人かが幣原提案説を否定している、という話もあります。
 しかし、であればなぜ両者が自分の得にならない話を創作し、しかも内容が一致するのか、エビデンスを備えた合理的な説明が必要です。
 民政局スタッフの証言は反証になりません。マッカーサーがこの極めて高度で機密の約束を部下に対しても悟らせなかった事の証左、と解釈できるからです。

 幣原の主導を示唆する、第三者によるこんな証言も残っています。
 「…(引用者註;1950年の)憲法記念日式典終了後午後六時半、幣原議長(引用者註;当時幣原は衆議院議長)は議会報告を兼ねて右決議文を手交するためGHQにマツクアーサー元帥を訪問した。この時にマックアーサー元帥から次のような発言が出たことを記憶してゐる。
 ”自分は日本進駐まで武力による破壊行為だけ続けてきたが、これからは平和の建設に全力を献げるつもりである。而して日本憲法制定に当り幣原君は一切の戦力を抛棄すると言はれたが、私はそれは約五十年鑑早過ぎる議論ではないかといふような気がした。然しこの高邁な理想こそ世界に範を示すものと思つて深い敬意を払ったのであるが、今日の世界情勢からみると、何としても早すぎたような感じがする”
 マックアーサー元帥の前記発言に対し、幣原議長はニガ笑ひして聞いてをられただけであった。その後間もなく朝鮮事変が起つた。」
(衆議院事務総長大池眞手記)
幣原平和財団 『幣原喜重郎』 非売品、1955年 P684  太字は引用者

 そして、その後の展開を解釈するうえでも諸々の辻褄が合います。
 マッカーサーが本国に対し天皇を裁判にかけないよう強く進言したのが1月25日。
 腹心のホイットニーに自らの憲法制定に関わる権限の報告を求めたのがちょうどこの頃、回答が2月1日。
 民政局に憲法草案の作成を指示したのは2月3日、GHQが憲法草案を日本政府に示したのは1946年2月13日で、天皇の地位と憲法をめぐる状況はこの幣原・マッカーサー会談直後から急展開しています。
 首相が大臣を罷免できない明治憲法の制約下で、幣原は当初は反対と言いつつ主導権を確保し、最後には問題児の松本大臣もまるめこんで、内閣をこの案で取りまとめています。
 (末尾の年表参照)

 実際の経緯は複雑で、イチゼロで割り切れないでしょうが、象徴天皇制による民主主義の実現と戦争放棄・軍備放棄の2つの柱を日本側の幣原首相が言い出したのは事実である、と考えるのが自然ではないでしょうか。



ではなぜ幣原首相はこのような憲法案を考えるに至ったのか。
この点については、上に紹介した憲法調査会の資料に詳細に述べられていますが、幣原氏自身が書き遺した著書 『外交五十年』 の1951年読売新聞社版が著作権消滅しているので、該当部分と年譜、奥付のコピーをPDFで提供します。なお同書は中公文庫から復刊されており、電子書籍もあります。
   Shidehara1951_P208-216.pdf (9,952KB)

なお読んで判る通り、1月24日会談には触れていないので、マッカーサーがこの本を使って幣原側と口裏を合わせる事は不可能です。


(3) 在野有識者の憲法研究会による草案がGHQ草案に影響を与えている。


一、国民ハ法律ノ前ニ平等ニシテ出生又ハ身分ニ基ク一切ノ差別ハ之ヲ廃止ス
一、爵位勲章其ノ他ノ栄典ハ総テ廃止ス
一、国民ノ言論学術芸術宗教ノ自由ニ妨ケル如何ナル法令ヲモ発布スルヲ得ス
一、国民ハ拷問ヲ加へラルルコトナシ
一、国民ハ国民請願国民発案及国民表決ノ権利ヲ有ス
一、国民ハ労働ノ義務ヲ有ス
一、国民ハ労働ニ従事シ其ノ労働ニ対シテ報酬ヲ受クルノ権利ヲ有ス
一、国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス
一、国民ハ休息ノ権利ヲ有ス国家ハ最高八時間労働ノ実施勤労者ニ対スル有給休暇制療養所社交教養機関ノ完備ヲナスヘシ
一、国民ハ老年疾病其ノ他ノ事情ニヨリ労働不能ニ陥リタル場合生活ヲ保証サル権利ヲ有ス
一、男女ハ公的並私的ニ完全ニ平等ノ権利ヲ享有ス
一、民族人種ニヨル差別ヲ禁ス
一、国民ハ民主主義並平和思想ニ基ク人格完成社会道徳確立諸民族トノ協同ニ努ムルノ義務ヲ有ス
憲法研究会「憲法草案要綱」 の人権関連条文
 憲法研究会は1945年10月、高野岩三郎(大原社会問題研究所所長)の提案により、森戸辰男(同研究所員、後に広島大学長)、鈴木安蔵(在野の憲法学者、後に静岡大教授)、杉森孝次郎(元早大教授)らの学識・有識者が加わり結成されました。

 この憲法研究会が1945年の暮れに発表した草案が憲法草案要綱です。
 象徴天皇制を採り主権在民を第一条に掲げたほか、8時間労働制など充実した人権規定を備えた、当時の日本としては非常に先進的なものでした。

 この草案はGHQにも提出されており、翻訳のうえ民政局法規課長ラウエル中佐(法学博士、弁護士)が精査し、翌年1月11日に修正意見をつけてこの草案を高く評価するレポートを提出しています。

 2月3日のマッカーサー・メモにより1週間余で憲法草案を作成するよう指示されたGHQ民政局は、次長ケーディス大佐(弁護士)を筆頭に、ラウエル中佐を含む25人のメンバーで起草にあたりました。晩年、ケーディス氏はこう証言しています。
 「この憲法研究会案と尾崎行雄の憲法懇談会案は、私たちにとって大変に参考になりました。実際これがなければ、あんなに短い期間に草案を書き上げることは、不可能でしたよ。ここに書かれているいくつかの条項は、そのまま今の憲法の条文になっているものもあれば、いろいろ書き換えられて生き残ったものもたくさんあります」
鈴木昭典 『日本国憲法を生んだ密室の九日間』 角川ソフィア文庫版、P165-166
  Youtube動画でも証言を観ることができます

 つまりGHQ草案はたたき台が日本人作成であり、まるきり外国製ではないのです。

 こう言うと、政府案である松本案と民間の案を同列に並べるな、と言い出す御仁が出てきそうです。
 この批判は成り立ちません。
   1. 松本国務相がGHQに出して蹴られたナンチャッテ改憲案は閣議決定を得ていない。幣原首相の真意とも異なり、日本政府の正式な意思とは言えない。
   2. 当時の内閣は勅命での組閣であり、選挙による国民支持の裏付けがない。国民を代表し得る度合いにおいて、在野有識者を圧倒できる根拠はない。

 そしてこの事は同時に、たった1週間余で起草したにも拘らずGHQ草案が質を保っていた事を説明しています。評価済みのたたき台があったのだから、「1週間余で作られた素案は粗雑な出来に違いない」との予断は根拠を失います。


(4) ホイットニーは押しつけていない。実際にはこう言った


 松本烝治国務相一行にGHQ草案を提示したホイットニー准将は、草案の位置づけをこう述べています。

"The Supreme Commander has directed me to offer this Constitution to your government and party for your adoption and your presentation to the people with his full backing if you care to do so, yet he does not require this of you.
He is determined, however, that the principles therein stated shall be laid before the people -- rather by you -- but, if not, by himself.
あなた方がこの憲法案を採用し自ら人民に発表するよう取り計らうなら、最高司令官(マッカーサー)はこれを全面的に後押しするので、本憲法案をあなた方一行と日本政府に提案せよ、と最高司令官(マッカーサー)は私に命じていますが、あなた方に要求している訳ではありません。
しかし、本案に述べた原則はあなた方から人民に問うのが望ましいが、もしあなた方がやらないのなら最高司令官自身がやる、と彼は決断しています。
GHQ草案手交時の記録』 1946年2月13日 国会図書館蔵 右は拙訳
 "he does not require this of you." と、はっきり言っています。

 別の箇所では右のように、「この憲法案がいいか、憲法の形をした別のモノがいいか、日本国民に自由に選んでもらおうじゃないか」 と啖呵を切っています。表現は違いますが趣旨は同じです。
 という訳で、自民党の改憲マンガは左のように訂正すべきです。
 (この部分に限らず、全編メチャメチャですが)

 このくだりは閣議でも閣僚にきちんと伝わっています。但し、松本烝治が草案を受け取ってから1週間近くも経った後でしたが。
 当時厚生大臣だった芦田均(後に首相)が日記にこう書いています。
 定例閣議が午前十時十五分に開かれた。蒼ざめた松本烝治先生が発言を求めて、極めて重大な事件が起つたと言はれた。松本さんは憲法改正案について Scap との交渉の顛末を詳しく報告したいと前提して大体次の通り話された。
 「…『…松本修正案は Scap 案とは異なる。 Principle と Basic Form とが acceptable なりや否や、水曜日(二十日)午前中に返事を求む、もし acceptable でなければ、米国案を発表して輿論に問ふこととする』と」。

 以上松本氏の報告終ると共に、三土内相、岩田法相は総理の意見と同じく「吾々は之を受諾できぬ」と言ひ、松本国務相は頗る興奮の体に見受けた。
 自分は此時発言して、若しアメリカ案が発表せられたならば我国の新聞は必ずや之に追随して賛成するであらう。其際に現内閣が責任はとれぬと称して辞職すれば、米国案を承諾する連中が出てくるに違ひない、そして来るべき総選挙の結果にも大影響を与へることは頗る懸念すべきであると。
 幣原総理は松本案は松本案であつて内閣案ではない、然し問題が重大であるから至急 MacArthur を訪問して話して置きたいと言はれた。
 …松本氏は、左様に快速には運べないし、又自分としてはアメリカ案を基礎とする如き修正を再起稿することはいやだし、出来ないと言つた。
 だが形勢がかくなる以上、遅疑すれば Scap 案が洩れるに極つてゐる。政府としては何等か早く手をうたねばならぬ。そこで総理が急速に Scap を訪問されることを決定し、問題を如何に取扱ふべきやは次の閣議で決することに発議して午前の閣議を終つた。
『芦田均日記 第1巻』 岩波書店 1946年2月19日分より抜粋 太字は引用者
 午後二時十五分、白洲君は米国案(英文)十部を持参し、米国側よりの Covering Note を渡して、今日中に之を Accept するかどうか返事を貰ひたい、今夕 Text を発表する、とのことであった。米国側は本国の空気を見て一刻も猶予し難しと感じてゐる如くである。
 米国が発表するとせば我方にて発表しない訳には行かぬ。…結局之を承諾する外なきも、文句は変更しうるのではないかとの結論に達した。
同上 3月5日分より抜粋

 つまり、内閣は拒否もできたが、拒否すればGHQから発表され世論に主導権を奪われるので呑んだというのが顛末です。


(5) GHQが提示したのはあくまで草案。実際の憲法案は日本政府が起草し直し、国会で修正されている


 GHQ草案を和訳してそのまま国会に出したのではありません。政府提出案はGHQ草案とあちこち異なっており、中には外国人の人権のように後退している点もあります。
 実例を見るのがもっとも手っ取り早いでしょう。橙色はGHQ案→政府案の、紅色は政府案→現行憲法の内容変更箇所です。
 特に9条の修正は後の首相・芦田均による芦田修正と呼ばれており、自衛隊を成立させる隘路を作ったとも言われています。

現在の条番

GHQ草案 (全92条)

政府の議会提出案 (全100条)

成立案(現行憲法、全103条)

第9条 国民ノ一主権トシテノ戦争ハ之ヲ廃止ス
他ノ国民トノ紛争解決ノ手段トシテノ武力ノ威嚇又ハ使用ハ永久ニ之ヲ廃棄ス
国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
陸軍、海軍、空軍又ハ其ノ他ノ戦力ハ決シテ許諾セラルルコト無カルヘク又交戦状態ノ権利ハ決シテ国家ニ授与セラルルコト無カルヘシ 陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない。 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
第10条 (該当なし) (該当なし) 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
第14条
第1項
一切ノ自然人ハ法律上平等ナリ政治的、経済的又ハ社会的関係ニ於テ人種、信条、性別、社会的身分、階級又ハ国籍起源ノ如何ニ依リ如何ナル差別的待遇モ許容又ハ黙認セラルルコト無カルヘシ すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別を受けない。 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
(該当なし) 外国人ハ平等ニ法律ノ保護ヲ受クル権利ヲ有ス (該当条文なし) (該当条文なし)
第25条 公共衛生ヲ改善スヘシ
社会的安寧ヲ計ルヘシ

下線部註:日本政府の誤訳。英語原文は
"Social security shall be provided. " 即ち
「社会保障を提供すべし」
(該当なし) すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
(該当なし) 土地及一切ノ天然資源ノ究極的所有権ハ人民ノ集団的代表者トシテノ国家ニ帰属ス (該当条文なし) (該当条文なし)
第36条 公務員ニ依ル拷問ハ絶対ニ之ヲ禁ス
過大ナル保釈金ヲ要求スヘカラス又残虐若ハ異常ナル刑罰ヲ科スヘカラス
公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
第42条 国会ハ三百人ヨリ少カラス五百人ヲ超エサル選挙セラレタル議員ヨリ成ル単一ノ院ヲ以テ構成 国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。 国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。
第43条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
両議院の議員の定数は、法律でこれを定める
両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
両議院の議員の定数は、法律でこれを定める。
第81条 最高法院ハ最終裁判所ナリ
法律、命令、規則又ハ官憲ノ行為ノ憲法上合法ナリヤ否ヤノ決定カ問題ト為リタルトキハ憲法第三章ニ基ク又ハ関聯スル有ラユル場合ニ於テハ最高法院ノ判決ヲ以テ最終トス
法律、命令、規則又ハ官憲ノ行為ノ憲法上合法ナリヤ否ヤノ決定カ問題ト為リタル其ノ他ノ有ラユル場合ニ於テ国会最高法院ノ判決ヲ再審スルコトヲ得
再審ニ附スルコトヲ得ル最高法院ノ判決ハ国会議員全員ノ三分ノ二ノ賛成ヲ以テノミ之ヲ破棄スルコトヲ得国会ハ最高法院ノ判決ノ再審ニ関スル手続規則ヲ制定スヘシ
最高裁判所は、終審裁判所である。
最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する。

(国会が議員の3分の2の賛成で最高裁判決を覆せるとの規定は不採用)
最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。


時系列を追って確認すると


 (2)で述べた幣原提案と、(3)で述べた憲法研究会案が、GHQ草案にきれいにつながります。ご確認ください。

月日 国内諸派・民間 GHQ 帝国議会 首相 内閣・政府
1945 8/11 連合国から日本帝国政府に対し、ポツダム宣言に基づき日本の政治体制は日本国民が自由に表明する意志により決定されると通知  
ポツダム宣言を受諾すれば明治憲法の改正を避けられない事は、宣言受諾以前に明らかでした。これを承知の上で、日本帝国は受諾します。
8/15 日本帝国、ポツダム宣言を受諾し、連合国に対し無条件降伏
8/17      




東久邇宮内閣発足 「国体護持」と「一億総懺悔」を唱える 
9/29         外務省、宮沢俊義東大教授を招き
憲法改正要点に関する講演を実施
 
10/3 高木内閣副書記官長の依頼により、
矢部東大教授が改憲案を中間報告
 
GHQの申し入れ以前から政府は憲法改正を検討していました。憲法改正の必要性を日本政府が承知していた証拠です。
10/4   近衛・マッカーサー会談
憲法は改正を要すると言明
     近衛国務相、GHQ意向を探る為
マッカーサー元帥と会談
  人権指令を発出
治安維持法廃止、政治犯釈放
などを指示
  GHQ人権指令を受け入れる事ができず、
翌5日に東久邇宮内閣総辞職  
10/9      



幣原喜重郎が首相に 幣原内閣発足
10/11   幣原・マッカーサー会談で
五大改革指令を出す (婦人、思想、
教育、労組、経済の解放・民主化)
  幣原首相、
マ元帥と会談
 
10/25         松本烝治国務大臣を委員長とする
憲法問題調査委員会を設置
12/18     GHQ意向で
衆議院解散 
   
12/26 憲法草案要綱
高野岩三郎らの
憲法研究会が発表
       
12/28 モスクワ宣言 連合国の対日政策決定
権を2/26設置の極東委員会に与える

設置後は米国単独での改憲命令不能に
1946 1/1        昭和天皇、人間宣言を発布
天皇自らこれまでの神格化を否定した事は、天皇の地位変更への後押しとなり、GHQも民主化への布石として高く評価しました。
1/4 公職追放令を発出 →選挙延期に
1/11 米国政府よりSWNCC228文書を受領
日本側の自主改憲を目指し、命令による
介入は最後の手段とする趣旨
  憲法研究会の憲法草案を高く評価
修正案を付した内部報告が出る
     
月日 国内諸派・民間 GHQ 帝国議会 首相 内閣・政府  
1946 1/24   幣原・マッカーサー秘密会談 (根拠史料情報)
幣原首相から象徴天皇制と軍備放棄を申し入れ、マッカーサーの
了承を得る。幣原は同内容をGHQから指示するように依頼する
 
この頃、マ元帥がホイットニー民政局長
へ自らの改憲に関する権限を検討指示
1/25 マ元帥から米陸軍参謀総長へ、天皇を
戦犯として訴追すべきでないと打電
2/1   ホイットニー民政局長がマ元帥に回答
極東委員会の政策決定前ならGHQに
憲法改正を進める権限があるとの内容
    毎日新聞、憲法問題調査委員会の試案を
暴露
 余りに保守的として新聞各紙が批判
 
2/3   マ元帥、マッカーサー3原則を提示して
民政局に憲法案作成を指示
       
GHQ案作成指示が幣原会談より後、松本委員会案暴露の直後である点に注目。ここからGHQは急激に動き出しています。
2/8         憲法改正要綱(松本案。閣議未決定)を
GHQに提出
2/13   GHQ、松本案を拒否 GHQ案を提示      
2/18   松本の説明を受け入れず     松本国務相、自案の補充説明をGHQに提出
2/21   幣原首相、マッカーサー元帥を訪問     
2/22       GHQ案に基づいて憲法を起草する事に閣議で合意
(26日閣議決定)
3/4   松本の「3月2日案」を受け逐条協議     「3月2日案」をGHQに提出、逐条協議
3/6       GHQ了解を得て憲法改正草案要綱を発表
併せて勅語で戦争放棄等の根本改正方針を指示
4/10     衆議院総選挙    
5/22       吉田茂が首相に 第一次吉田内閣発足
6/20     帝国憲法改正案、勅書をもって帝国議会に提出   
7/2   連合国極東委員会が「日本の新憲法
についての基本原則
」を示す
日本国民の自発性を疑わせるとして
マ元帥はこの公表を抑えさせた
 

   
8/21     衆議院、
憲法改正案を
修正可決
   
10/6     貴族院、
憲法改正案を
修正可決
   
10/7 衆議院、
貴族院の修正
を可決
10/17 極東委員会、1〜2年後に憲法の再検討
事項を決定すると決定(実施されず)
結局、連合国の極東委員会は日本国憲法への干渉権限を発動できないまま終わりました。
10/29 枢密院、憲法改正案を可決
11/3

日本国憲法公布

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